生き生きとする瞬間

 

グループホームにやってくる、家族の方と、話をする機会が増えた。4階の入居者達は、毎日のように、面会に来ている。土曜日に、車椅子で、食時も一人では取れなった、老人が、一人で立ちあがり、職員に手を取ってもらって、テーブルの周りを歩かれたので、私は、「すごい。素晴らしいですね。毎日少しづつ練習したら、車椅子がいらなくなりますよ。」と言うと、嬉しそうに、うなづいておられた。その日の面会者に、奥様と、息子さんの名前があったが、すでに帰られたあとだった。

昨日、私が行くと、その方の二男のお嫁さんが面会に来られていた。みかん箱があって、「あら、沢山のみかん。」と言うと、職員が、この方からの差し入れだ、とのこと。果物が大好きで、奥様が、タッパに入れて、持って来られると聞いていた。

二男のお嫁さんに、「自力で立って、歩かれたのですよ、」と言うと、

[土曜日ですか。あの日は、隣のレストランで食事して、歯医者さんの検診にも行った日だったんです。今日は調子が悪いようです。]

 外部に出て、食事をする、レストランでの食事は、きっと、その方に、歩きたいという希望を強く持たせたのだろう。外に出る事で、元気にもなられたのだろう。籠の鳥のように、隔離されていると、諦めが先に立って、人を待つ、という希望だけにしがみつくように生きている。

テーブルの向かいに座っている、別の老人は、ほとんど話をしない人だけど、話しかけてみた。

[お住まいは?]

「神戸で、育ちました。」

[神戸のどちら?]

[葺合です。]だんだん元気になってくる。

京都薬大を出た、薬剤師さんだった。御兄弟は、皆、歯医者、医者、薬学関係だとか。

[工学、理科系ですね。]などとの会話から、行かれた外国の話などを聞き出すと、目は輝き、とても晴れやかなお顔になる。」

わかっても、わからなくても、話をする、ということは、人をとても元気にする。たとて、その時間をすぐに忘れていしまっても、

その瞬間、瞬間が、人に力をつけている。

母と仲良しのTさんがいないと思ったら、娘さんと帰って来られた。新しい花を買って。

「あら、素敵。髪がとてもよくお似合い。若くなられたわ。」

[お母さんも行かなくちゃね。]

帰りに、娘さんが、聞かれた。

[お正月は、連れて帰られるのですか。]

「そうしようかと思ってたのですが、おせちも出るし、皆さんで仲良く、元旦迎える方が良いかな、とも。」

「家に連れてかえると、施設に帰りたがらなくなるので。一緒にいる時間も少しでないと、帰りたがるので。徘徊がありますから。」

 母は、そういう心配はないと思うけれど、暮らしている人達と、元旦を迎える方が、おせち料理も出て、賑やかで良いだろう。

息子が何時帰って来るのかと、母はそればかり聞く。帰ってくれば、私が寂しくなくなるだろう、賑やかになるだろう、と。