エドワード、ホッパー

サンライズ、2番目の始まり

 今回のニューヨークへの訪問は,ホイットニー美術館の「ホッパーの特別展」を観ることだった。

 いつもよりも少し速い目に,モーマを出て,マジソン通りのバスに乗って、75ストリートにある、美術館に。

 館の横のある通り待っている人達の列が、ワンブロックに及んでいて、これでは2時間待ちだから,正規の料金を払って入ろうかと思った。

しかし、それでは明日にすればゆっくり観られる。

しばらく並んで観みるか。

 少しづつではあるが、列が進んで行って,小さな美術館なのに、早い。20分のすると、いつも並ぶくらいのところまで,来た。

看板があって、そこに

「列を待てば30分かかりますよ。今夜メンバーに入っていつでも優先してはいられるようにしてください・」と書いている。

 でも、30分はかからず、それから10分で中に入ることが出来た。

ドネーションなので、1ドル払った。だしたい皆そんなもの。

日曜の朝、7時

 大々的な展覧会は、別の人で、クーパーとかいうシカゴの知らない若い作家のもの。

一階から4階までそれで占めている。

ホッパーは、五階の下にある小さなスペースに、絵もわずか。全てこの美術館で見たものばかり。

私が期待したように、館が保有している全作品が出ているわけではない。

ずっと前、この美術館でホッパーの絵画展を観た時のことを想像していたのだけど。

フェルメールのように、ホッパーの作品は数少ない。モーマでも一点あるだけ。

ワシントンでは5,6点だったか。

シカゴには、大きな作品があって、それくらいの大きさは、シカゴだけ。

 今回の展覧会は、ホッパー以後の写真家達の作品を,ホッパーの作品と並べて展示している。同じようなフィーリングを持っていて、同じような哲学を持っているという5人の写真家の作品を並べている。

  ホッパーの作品は、光との関わっている。太陽の光だけではなく、夜の人工的な光も大切な要素になっている。

 人に群れられない、アウトサイダー的で、自我を客体化して、覚めた目で見つめている。。クールで冷たい,体温のなさを感じる作品。

 人を画いていても、人間味がない。人形のようでもある。

ホッパーの絵画も晩年は,明るいブルーと太陽の光を好むようになっている。

 ここに、やはり、鉄道のそばに建っている家を画いた作品がある。

 鉄道がクロスしている家、という題で、モーマの作新と同じく、1928年頃のもの。

 色は苦く、背後に斜めから光が当たっている。陰がながいので西日だ。

 小さく全く陰でしかない人らしいものが画かれている。

  ホッパー絵画から、イマジネーションを働かせて,何か物語が書けないかな、と思う。私とは全く無縁の、未知の物語を絵書けないかな、なんて。

無理でしょう,詩だったら?

絵画を通して,自分を見つめ、私を認識しているのかもしれない。

今朝、チェックアウトを遅らせてもらった。2時まで延長出来た。

昨日は,良く寝た。

 モーマで、こっくりこっくり。マチスのカットアウトの絵の前で。

 なので、昨夜はぐっすり寝て,朝からブログを書いていた。

スチームサウナに入って,11時のチェックァアウトに間に合わせたが、

このブログを書いてしまいたくて、延長してもらっている。