退院の朝

 毎日母と見た景色

 退院する朝、早い目に病院につくと、母はすでに、荷物をまとめて、洋服を着て帽子までかぶっていた。朝一番に、挨拶にやってきた人がいたという。並びの病室の家族の人が、「寂しくなるわ。」と言ってくださる。2ヶ月半にもなると、毎日話をしているうちに、特別の親しみが湧いてくる。それぞれ、お年寄りで、治る見込みのない患者さんをかかえている。お元気になられて、早くお家に帰られるといいですね、としか言えない。

 グループホームに行けば、しばらくお風呂に入らないかもしれないから、お風呂にいれてもらった。

「家に帰れば、大きなお風呂があるので、そこで入りますから。」頑固に拒んでいたけれど、遂に抵抗を観念して、入ると、ああ、気持ちが良かった、幸せな顔をほっこりさせている。

「この病院お終いになるそうね。夙川に帰ったら、片づけないといけないものもあるし、お掃除するくらいだけど。」

夙川に帰るつもりでいた母が、弟が来ると、今度は、私の家に行くと言っている。

「あら、夙川に帰るのではなかったの?」と私が云うと、弟の顔をみて「帰れないわね。」母は気を使っている。

 日に何度となく散歩した中庭。

 私は母をグループホームに連れていく勇気はとてもない。あとは弟夫婦にバトンを渡して、少し早めに病院を出る。

廊下で隣の病室の娘さんに「この病院、今日でなくなるんですって?」と母が尋ねる。困惑しながらも同調してくださる。

母の頭に中に、退院という意味がなくなっている。

グループホームでは、私的に何を食することも、飲むことも禁止されている。

巨蜂と小さなケーキ、それにいつも沢山飲んでいるジュースを持参していた。母は美味しいを連発しながら、またたくまの内に食べてしまった。

これからは制約されて、不自由な生活を余儀なくされる。グループホームも様々。隔離することで、安全を、食を持ち込むことを禁止することで、食中毒を防ぐ。

翌朝、施設に電話すると、母が勝手に出て行ったと言う。すぐに行きますと車を走らせた。母ではなく、昨夜から入った、もう一人の入居者が、扉が開いていたので、勝手に出て行ってしまったと大騒ぎ。母は聖心学園の修道女だった人と話をして座っていた。逃避した方は強靭な足の持ち主で、歩くのが好きで、夜中も歩き回っていたらしい。檻に閉じ込められた獅子の放浪癖。鍵をかけておいて、閉じ込めて、それで良いのだろうか。グループホームによっては、後をつけて見守りをしている所もある。それでこそ、人間重視の対応ではないのだろうか。