暁斉、京都国立博物館にて

  

  

  久しぶりの京都は、一足飛びに夏が来たような明るさと熱さだった。人通りを避けて、高瀬川沿いを歩いて、美味しそうな 店がないかとうろつくと、昔ながらの風情を漂わせた豆腐屋さんがある。このあたりで美味しい店はありませんか?厚かましくも地元の人に聞くのが、私のいつものやりかただ。

 「何がよろしいですの。」「なんでもいいけど、和食がいいかな。」

この道を左に行って、橋を渡らずに、細い道をくねくねしてますけど、川に沿うように行くとお野菜が前に置いてある店があります。ネギ料理の店で、そこが美味しいですよ。」

 

 

確かに、野菜が置いてあるのですぐにわかった。「葱や兵吉」という暖簾がかかっている。

 中に入ると、川沿いにカウンター席があり、そこは一杯の人だった。

「靴を脱いで二階に上がってください。」と言われ実家にあったような急な階段をあがると、小さなテーブル席がいくつもあって、ほとんど埋まっていた。隣の人のテーブルに、升に山のように刻み葱が置いてある。忙しく働く人達が、テーブルでサービスしている様子を見ながら、キョロキョロどんなものを注文しているのかと見る。すり鉢一杯のトロロを大きなお椀に何度もかけている。すごいトロロの料だな。

ここでも、サーブしてくれる人に「何が良く出ますか。」と聞く。

隣の人が食べている。トロロご飯の様だ。

 

 友人はそれを頼み、私は、兵吉御前を注文した。葱3種の料理に、豚の角煮がつく。

トロロ飯は、白ご飯か、玄米かの2種類を選ぶ。兵吉のほうは、菜の花ご飯との3種類。 葱料理は、ぬた、九条葱のサラダ、それに焼タマネギの3種類だった。これで2千円というのは、少し値段が高いようにも思うけれど、京都に安いものなし、旨いものなし、というから、その割りにはリーゾナブルで、京都らしくて、よろしいのではないか。

 とにかくヘルシーで、町屋の雰囲気が漂っていて、不味くないのだから、京都観光客には万々歳だろう。

 店自慢の「とろろ飯」はなかなかのものだった。トロロが玄米煮よく馴染んで、たっぷりあって、そこにかの、刻み葱をどっさり乗せていただく。付け合わせの0みそ汁は、気の抜けた味で、れんこんは辛すぎる感があり。やはり、観光客をターゲットにした店のよう。

 店を出る頃には、待っている人が多くなっていた。私達はラッキーだったのだ。河原でしばらくボーッとしてから、国立近代美術館まで歩いた。

 

NHKで「暁斉」展を紹介していて、見たいと友人が言う。私は、それは国立博物館じゃないの、と。行ってみると、やはり国立博物館の方だった。引き返して、五条坂に。

 時間が4時頃なので、待ち時間なし、と出ている。昼間なら待たねばならないほどの人気なのだ。それでも入ると結構人がいた。

空いた所を探して、順番を気にせずに観賞しているうちに、だんだん空いて来た。閉館間にかになってきたから。

「狂斉」と名乗っていたのを、逮捕されてから、「暁斉」と名乗りを変えたとか。天衣無縫に、自在に描いた絵の数々に圧倒される。時には大胆に、時には精密に、その集大成としての円熟期、後期の作品は、見事で素晴らしい。人間の等身大をくまなく、描き尽くすことで、絶頂期を100パーセントの完成度に高めていったのだろう。その生き様も、かくあったのだろうと想像する。

 深い哲学の元に、リアリティーをつきつけながらも、苦しいほどの遊び心を大切にした

画家、というよりも、私は「絵師」と呼びたいような、、、。

 仏画や人物の表情に見る、優しさ、気高さ、大らかさ。