食欲

子供の頃、お抱え運転手がいて、立派な家構えの親戚の家に泊めてもらった思い出がある。

従姉妹は、家を建てる時に、その家の門構えが憧れだったので、それを真似て作ったという。

私は、どんなものであったか、全然記憶にない。

覚えていることといえば、バヤリースジュースが朝食に出たこと。

庭に、鶏小屋があって、できたてのたまごが暖かかつたとと。

お正月には、おぜんざいが、毎年の行事になつていたことぐらい。

林間学校や、就学旅行で出された食事のメニューを目を輝かせて、亡くなった叔母に言って、驚かせたこと。

沢庵まで?と笑われた。

貧しい家に育ったわけではないが、子供達は、大人と同じものを食べ、大人と同じ扱いで育った。住み込みの人達と同じ。

朝は、大きなやかんに紅茶と、私が買いにいく菓子パンが毎朝。

あんぱんや、クリームパン。甘いもの好きの大人達の好みで、忙しい朝を簡単に済ませる。

昼は、おうどん。決まって狐うどん。甘く煮た揚げを載せて。

夜は、ハンバーグや、カレー、鯖すし。

客が多くて、賑やかな食卓。

私の欲望は、食欲が大半を占めている。

かといって、何日も水で耐えたという辛い体験はない。

パリで、絵描きを目指した従姉妹は、それを体験している。

母の妹は、ドサ廻りの歌手生活で、体験している。

食べられない恐怖は、食べ物を周りに一杯にする。

自分が食べるよりも食べさせてあげたいという欲望の方が強い。

本当の辛さを体験している人達は、思いやりも強い。

それぞれの飢餓によって、人への思いやりもその仕方も様々。

熊本で、辛い現実を耐えている人達に思いをはせる時、食べるものが、行き渡っているだろうか、水が無くて苦しい思いをしていないだろうか、硬い寝床で、腰を痛めていないだろうか、トイレは?

自分に当てはめて、考える。

人間は、強い。そして優しい。ありがたいという言葉が、困難な状況の中で被災者からでている。

生きる意欲と、最も密接な関係にある、食欲。

美味しいもの、暖かいものが行き渡るように祈る。