デ、ヤング美術館

 今日も,昼抜きで,お腹を空かしてホテルに帰って来た。

トレーダー,ジョーに寄って、昨日、諦めた,ナパの赤ワインを買ってしまった。

 チーズとサーモン、クルミとロックフォールチーズのサラダ、それに赤のナパ。

トレーダージョーも、紙パックに値段がついた。27セント。以前は無料だった。

 イカリはずっと無料で、高価な紙バックを提供している。

ニューヨークでは、高級食料店のアガサなどは、ビニールのしっかりしたバッグを使っていたが、それを維持しているかどうか。高級スーパーだから、無料だろう。

 枕チップを1ドル置いていると、違うように思う。綺麗にお掃除が出来ている。

部屋の掃除は、チップがいらないと聞いたけど、置いたほうが良いと思う。

今日は,お掃除に,ノックをしてきたので、15分待って、と言って外出の用意をした。

 行く先は決まっている。テ、ヤング美術館だ。

シティーパスを買えば、そこが入っているのだが、第一火曜日は無料なのでやめた。

 昨日、ゴールデンゲート公園まで行って、美術館がどの辺りにあるのかチェックしていた。

 シビックセンターまで歩いて、マーケット通りに,5番のバスがないので、パウエルまでバスに乗った。

 グルーミングデールでトイレを拝借してから、5番に乗った。

 サンフランシスコには何度か来ているが、一日くらいの滞在で、いつもケーブルでフィッシャーマンズに行き、ケーブルで降りて見るだけで、遠くの美術館まで、来た事がなかった。

 素敵な建物だ。外は公園なので、その緑を旨く取り込んだ設計だ。

 この美術館に、ホッパーの絵画があるというので、楽しみにしてきた。

ホッパーの絵画は一点だけだった。一点でも持っているだけで貴重なのだけど。

  それは、1950年に画いたものえ、ホッパーの絵画としては明るい色彩のもの。

 戦後、旅を続けられるようになった。エッソガソリンは、車でどこにでも行けるようになったことを表している。

道は分かれている。時間は、朝の7時。

 孤独が戻って来た。自由が戻って来た。どこに行っても良いのだけど、さてどこに行こうか。道が分かれている。まさ,朝の7時、これから一日が始まる。

 ホッパーの絵の前に立ち人達は、そこに立ち止まって、しばし眺めている。注釈をする人もいる。アメリカ人にとってホッパーの絵画は心揺すぶるものがあるのだろう。

なにげなく廊下に置かれている作品に、存在感が違っている。

 オキーフの作品も目を停める。

 2点あった。

 ダリの絵画も二点、メキシコを代表するロヨラの作品も2点。ゴッホの珍しい絵画が二点、モネの絵はあまり良くない。ルノワールもまだ未完成のような感じのもの。

 ニューヨークやボストンが所有しているものにはとても及ばないけれど、画家の一面を,見るような作品もあって、面白い。

  オキーフの「ぺチュニア」の青紫色が素晴らしい。

 

ゴッホの「モンマルトル隠れ家」と題した絵画と静物画。個人が購入した,小作品を見ることが出来るのも魅力。

ニューギニアのアルカイック

美術館の部屋から,透明な窓を通して,緑のガーデンが見える。自然と一杯となった美術館は,目の疲れを癒す効果になっている。

アメリカの現代アートがよく似合う。

モジリアーニの素敵な絵

モネも、売り絵を描いていたのだ、ということが、わかる。そして、描けない画家達の絵。

 さすが、同姓婚のパイオニア的なサンフランシスコ。

写真の展示は「ゲイのエッセイ」という企画。

無名の人からの寄贈と書いている。大胆な写真から、寂しさを漂わせ,哀愁に満ちた写真など、随分沢山の写真。

そう、一つ一つの写真にエッセイが書けるだろう。沈黙のエッセイを語っている。

 ゲイの写真を見ていると、笑っていても、どこかピエロ的な悲しさを秘めている。

恥ずかしそうで、繊細で、陽の当たらない道を歩んでいる人達。

 人口的なライトの陰で、ひっそりと生きている。

太陽の下で,堂々と抱き合っていても、どこかに孤独の陰を引きずっている。

 だから、写真を寄贈した人も,無名者なのだろう。

そして、アメリカといえば、ティファニー