旅は道連れ、というけれど、私の場合、一人旅が多い。
私は誰を道連れ2?自分自身を道連れにしている。一人でいると自分を客体化して見ていることに気がつく。
人は一人であって、一人ではない。こうしたいと欲望する自分を、そんなことしちゃだめ、と諫めたら、いいいよ、認めてあげたり、悲しみを共に寄り添う自分がいる。
友達といると楽しい。一緒に旅行するのは楽しい。
お喋りしているうちに、目的地に着く。何を見たのか覚えていない。温泉に浸かって、美味しいものを食べて、帰ってくるのが一番,適している。
女通しのお喋りは、延々と長々しく続く。感心する男達。男達は続かない。
女のお喋りは、とりとめもなく、内容がなくても続けられる。
私は、車窓からの景色をぼっっと眺めているのが好き。
頭に浮かんでくる様々な事を見つめてながら。
一人で居ると、回りのものが見える。だから書くことも出来る。
一緒にいるとき、幸せな時、書かない。その必要はないから。書くことは、自分の中にある、自分に、他者に書いている。
アメリカの絵画の中で、私が心を惹かれる絵画は、明るいホーム主義の絵ではなくて、 孤独感漂う絵画だ。
ウィリアムホーマー、それを継承しているホッパー、イーキンス、やオキーフの絵画の中に、言いしれぬ孤独感と、客体化した理性とを感じる。
深い哲学的なものを感じる。
ホーマーは、メイン出身の画家で、メインの海を画いている。メインロブスターとして有名なメインのロブスターは、殻がかたくて、実がしまっている。
以前にも書いているが、「アップルサイダーハウス」というメインを舞台にした映画の中の、シャイで心を外に出せない,主人公の少年は、メインを客体化したような人物。自然に逆らうことなく流されながらも、自分を確立していく少年。
孤児院で育ち、外の世界を知らない少年は、そこから出て、アップル積みの労働者と一緒に働くようになる。
作業小屋の字を読めない季節労働者達。様々な人人と共に生活し,恋も経験し、そして、自分を医者として訓練し、後継者として育てた院長が亡くなって、子供達の孤児院に戻っていく。淡々と,自然のように画かれたこの作品は、とても好きな映画。
ホーマーの絵を見ていると、冷たい海の、厳しいけれど、暖かい,自然の中にある人間を感じる。
メインの人人は暖かくて,親切で素朴で,シンプルだ。
感謝祭に泊めてもらった一家は、カーペンターで、写真が趣味のジュリーは,ステンドグラス も素晴らしい物を作っている。
彼女は、私を車で、アウトレットに連れて来てくれて、一緒にレストランに入った時に、彼女の出すチップの多さに驚いた。
滅多にレストランには来ない。年に一度くらいだそうで、嬉しいからだ、という。
メインの人達は、アップルをパイにして冷凍で一年くらい保存している。
ストロベリーや果物の豊富な所なので、食後に出すデザートのケーキをかかさない。
皆、家で手作り。レストランは近くに一軒もないし、隣は相当離れている。
毎日、鹿がえさをもらいにやっている。冬が長いメインの人達は、クロスカントリーという,歩きながらのスキーをして移動する。
手工芸や陶器,素敵でセンスの良い作品が沢山ある。
メインに行きたいといつも思っている。
農場で作った,アップルジュースは、濃くて手に着つくとねばねばする。その美味しさといたら、たまらないくらい。
メインの海や農場で働く人達の平凡な絵画な生活を画いた,ホーマーの絵画似惹かれる。