スコットランドの独立を問う投票の結果、反対多数で、イギリスに帰属することが決まった。
あれは、エリザベ女王の戴冠50周年の2002年だったか、1999年だったか、
覚えていないが、イギリスを1か月かけて旅行した時のこと、エジンバラからグラスゴーに行くと、駅で私は、イギリスと言ったら、「ここはイギリスなんかじゃない。スコッチ、スコッチだ。」と熱く教えられたことを、昨日のように思い出される。
ヨーク駅から、ユースホステルに落ち着いて、街を散策してると、コンサートホールがあって、ポスターを眺めてると、高齢の男の人が、出て来てい、私に言った。
明日、ここに来て、チケットをわずか500円で買えるからいらっしゃい。
一番前の特等席で、素晴らしい記念すべきコンサートに参加できるから、と。
言われた時間に、チケット売り場に行きました。
オーケストラと椅子席の間に広い空間があって、そこに座って観る席だった。
スコットランドが自治権利をえて、スコットランド議会が出来るように記念のコンサートだったようでした。
スコッチは、皆燃えていました。盛りあがりに参加して、小さな旗を持たされて、身体を寄せ合って、肩を組み、大合唱をしたのです。
コンサートの最後に、オーケストラと一体となった会場の人々と、「蛍の光」を歌いました。
スコットランド民謡で、卒業式に日本でも必ず歌われる詩です。
スコットランドの人々が、どれほどスコットランドを愛し、イギリズへの違和感を抱いて生きているのかを、身近に感じ、それ以来、スコットランド地方は、イギリスではない、、という感覚を持っていましたので、スコットランドは独立を選ぶあとも思っていましたが、
時代が変わりゆくなかで、世代交代のあり、経済的、文化的にも、からみあって、
双方の利害を優先するという選択になったようです。
こういう選択はであっても、45パーセントくらいの人達は、賛成だったのですし、
イギリスから、エジンバラに入ると、全く違う空気を感じるのは、今も変わっていない
のではないかしら。
、清流のピュアな精神と、暗い樽の中で長い眠りを経て熟成され、作りあげられる、スコッチウィスキーの匂いと味を、スコッチは守り続けるでしょう。
私も、今度はもっとゆっくりと、訪ねたいと思います。
一旅、一か所の旅のパッチワークで。