フリック美術館

今朝,書いたブログが消えていた。

 もう一度書き直しは疲れるが、仕方ない。

日曜日の午前11時から1時までの間、フリック美術家では、ドネーションで,チケットの購入は,自由に決まられる。

 私は,過去、2回ほどこの美術館を訪れているが、飛行機の雑誌に、フリック美術館にある、フェルメールの絵について執筆されていて、3枚のフェルメールがあるのだが,フリックの遺言で、門外不出なので、展覧会への貸し出しが出来ないが、光を画いた作品として、フェルメールの最高のものだと評していた。

http://www.frick.org/ フリック美術館のホームページ

 その絵画は「士官と笑う女性」という題で、二人は楽しげに話をしている様子で、若い女性の顔が喜びに輝いて見える。柔らかい光が彼女の顔を浮かび上がらせている。

  小作品なのだけど、存在感がすごい。この絵は、絵画を挟んで、もう一方に、「音楽を中断して」という絵が飾ってある。音楽の手を止めて、こちらを見ている少女と,音楽教師。

そして、あとの一枚は、フリック自身が設計した広いギャラリーに飾られている。

 このギャラリーには、ターナーの絵画を除いて、すべて、開館当時のままの絵画を展示している。

 壁は黒、シンプルなローマ時代を忍ばせる彫刻を施した,茶色の縁取りと腰壁と、大理石の床、家具はほとんど置かず、壁には,一枚づつの展示で、目線に置いている。

 フリックは、この館を後に美術館にすることを年頭に入れて建築士と設計士に依頼している。

 1914年に完成した屋敷で、フリックが住まいしたのは5年だけだった。

書斎には,フリックの肖像画がある。思慮深く、威厳のある風貌の陰に言いしれぬ寂しさが漂っているように私には思われる。

 鉄鋼王といわれたフリックが、深く共感したのは、ゴヤの「鍛冶職人」の絵画だ。

3人の労働者が呼吸を合わせて,打ち込んでいる姿に、かつけの自分を見たのか、それとも彼の為に働いてくれる人人への思いなのか。

 彼は他の成功者と同じように、書物によって,深い知識と見識眼を備えた。

  レンブラントの自画像も、彼に通ずる。最も優れた,自画像だと言われている絵画の中のレンブラントは、厳しく見えて、そうではない深い眼差しを向けている。

 フリックが集めた作品の多くは、1914年から亡くなるまでの5年間に収集されている。1910年以前にはたいしたものは買っていない。

 1910年から,美術館を作ることを決めて、本格的な収集を初めている。

 ターナーの絵画も、港に荷物を運ぶ絵だ。ケルンとボロンデ、という大作が、ギャラリーの両面に向かい合って展示されている。

 ケルンの光は、どこまでも広がる永遠の光、向かいの絵画は夕日を浴びて輝いている。 とても素晴らしい。その前には,両側にソファーが置いてあって、ゆっくりと館賞するためのものではないと思われる。ターナーの絵の隣に,レンブラントの自画像がある。

 若い女性の肖像画をフリックは好んだ。彼の愛する娘を若くして亡くした悲しみをいやしてくれたのだろうか。

ギャラリーに、飾られた「召使いと女主人」という絵画は他の2点と比べて大きい作品。

この作品は1919年に購入されている。

モネの雪景色は、モネがお金に困窮していた頃、妻が病の床にあって、川辺に小舟を浮かべて、そこにキャンバスを置いて,向こう岸の雪景色を画いている。

 暗い色調の孤独な心を写している絵が、心を捉える。

フリック美術館は、素晴らしいものばかりで、何度も観たくなる。

閉館までいた。

 昨日のメトロポリタンで、ここだけで充分と思ったのだけど、フリックは出て行きたくないくらい,こじんまりとして、安らげる空間。