コスモス

  

    

 

 昨日、妹達がやってきた。

 狭いリビングが満杯になった。

 生まれてまもない、ベビーを連れて、母の施設を訪問した帰りに、

妹の娘達と、その子供達も一緒に。

人気のない家が急に華やいだ。

アメリカから買って来た、子供たちの洋服や、息子達から預かって来たプレゼントなど、

ずっと気になっていたものをもらってもらった。

お宮まいりの着物だと思っていたものが、違っていて、白い絹の着物は色が変わっていた。

棚の上を整理していた時に出て来たもので、お食い初めの食器が上にあったので、てっきりお宮参りの着物だと思っていたのだけれど。帽子はお宮参りのものだった。シミがついて、使いものにならない。心おきなく捨てられる。

一旦は処分しようといたもので、捨てるに忍びなく放置していたもの。

妹からの電話で、捨てなくて良かったと思っていたものだった。

コスモスの花を沢山持って来てくれた。

その日、友人から、柿も送られて来ていた。友人は九度山に毎年柿を買いに行き、親しい人に送っている。

大きくて、立派な柿が箱一杯入っている。

母の故郷の柿でもある。毎年、我が家の送られていたのとよく似た柿。

妹たちに持って帰ってもらってから、父にお供えしたくて弟の家に行った。

コスモスが沢山あるので、半分持って行った。

母には、妹からもらったビスケットを。

天日干しの、美味しいビスケット。母はなんでこんなに美味しいのかしら、と言いながら

いくらでも食べていた。

柿はまだ固いので、そのうちに少しづつ食べさせてあげよう。

母の楽しみは、食べる事ぐらいなものになってしまったけれど、美味しく食べられる事は

幸せなことだ。日に3度の食事とおやつ。ほとんど、食べる為に生活しているよなもの。

何でも食べられる歯と、美味しいと味わえる舌と、それ受けれる度量の大きい胃袋と、

ちゃんと消化して、健康な毎日のお通じ。年を取ると奇跡に近い。

自分の足で歩き、走ることも出来る。

病院に行くと、ほとんどの人が病をかかえているだろうと思う。重病の宣告を受けている人も。

時々、寝台が通る。点滴やチューブをいれた状態で、ベッドに沈み込むように、血の気のない小さな顔。

なんとか、最期まで、自分の足で歩いて死なれないものかなと願う。そんなことの出来る人は奇跡の人だ。母は、その数少ない奇跡の人かもしれない、と思う時がある。

母の事を、「きっとお母さんは最後まで元気で、ある日亡くなられると思う。」と幾人かの

母を知る人に言われたことがある。最近、母の様子を見ていると、そのように思える。