リスボン最後の夜

    

       

   地下鉄のチケットを、12時間使える一日券にしておけば良かったのに、それほど使わないから、と5ユーロのチャージにしていたので、シントラ行きの電車にそれで乗れたけれど、駅で帰りに、この電車と地下鉄を使うと言うと、5ユーロのチャージが必要だと言われて、5ユーロ払った。

 まらさらに、ロシオ駅で、明日まで使える一日券に変えたかったので、聞くと、何ユーロチャージするのか?と言われて最低の2ユーロを買った。

どこにも乗れると言われるけれど、一日券に変えたいというと、これでオーケーだというだけでわからない。

 なので、おそるおそる乗ることになる。一日乗車券は、そんな心配いらなくて、便利だった。ロシオについて、子供服を買いたくて探した。

 

 妹の子供達に簡単なティーシャツだけど。妹の娘の子供達は、良く母を訪れてくれている。時々出会うときくらいしか会わないけれど,小さな子供は純真で可愛い。

 この買い物がすんで、来た時に見つけた,開業1919年の老舗だと言う店に行った。 7時過ぎなので、閉まっている店が多い。

 その店も、閉めている時だった。

 明日の朝、店は開きますから、と言われ、明日は日本に帰る、と言ったら、それでは、と良いですよ、と開けてくれた。少ししか買わないのだけど、その店では小さいものばかり買った。

 電車を使って、ホテルまで帰り、飛行機会社へのリコンフォームを試みたが、昨日と同じで、アポロジャイズ、アクセス出来ない。

 日本空港で,リコンフォームが必要だと言われて、何度もインターネットからアクセスしていたのに、全く通じない。空港の係員は、まったくでたらめな情報を与えてくる。

8時半になったので、今夜もファドに行く。昨夜と同じ所。

昨日とはうってかわって、満席に近い。朝から雨模様で、寒かったので、テラスの客は少ない。朝出るときに,寒さに服を増して,出直したくらいで、シントラにいるときも寒かった。

女性二人が座っている空きの席に座るように言われた。そこは、昨夜、私が座っていた場所なのだけど、向かいの席に座った。

 私の顔を見ると、又来て暮れたね、という挨拶で、常連客の扱い。

 彼女達はスイスから2週間のバカンスで来たそうだ。厚い皮のジャンバーを着込んでいる。彼女達は食事が終わり、一旦は勘定をしてもらって、ファドが始まると、 そのままファドを聞いて楽しんでいたが、一旦休憩にはいって出ていった。

 賑やかな音楽につられて、覗く人達が入ってくる。

 席は満席。

 私は今お店が勧めてくれた、コッドを注文。コッドとポテトを練ったような料理で、チーズもきいていて、美味しい。ハウスワインのハーフを頼んだら、多いなあ、と思っていたら、1リットルのハーフ、500もあった。

 昨夜と同じ歌が続いた。歌姫と呼ばれるファド歌手もやってきた。昨夜歌っていた,教諭風の男は来なかった。

 歌好きそうな女性がいて、しきりに歌に合わせて歌っていたが、彼女も、ギタリストに頼んで,歌い出した。とても上手で、情感が籠もっている。

 店の人達とも、すっかり意気投合の私に、通る度に店の主人が、いいね、というサインをしたり、ファドをリードしている,タクシードライバーは、歌に合わせて、私に歌わせる。家族のような雰囲気。

隣の席に、カップルがやってきた。

彼らは、私の料理を見て、美味しいか、と聞いた。彼らの注文は、同じ料理と、えびのカクテル。サングリアを飲んで,私に、試さない?と勧めてくれる。

 大きな瓶に入ったサングリアなので、一人で注文するのは、と思ってたけど、彼らは二度注文していたので、一人でもいけるなあ、と。

 二人はロシアから来ていた。カリキュラムの一貫だそうで、好きな所には泊まれないし、いけないのだとか。

私のリスボンでの滞在ホテルの値段を聞いてから、彼らは空港のそばで、159ドル払っている、それも個室で、だという。

 いろんな泊まり方があるけど、確かに、リスボンの高級ホテルで、300ユーロくらいなので、それでも安いと思ったに違いない。ピンキリだから。

ずっといたいけど、遠いからと二人は心残りで帰って行った。

彼女の方は、ビクトールというタクシー歌手を、イタリア時代の全盛期の頃を知っているという。渡されたカードの写真を見て。

満席なので、盛り上がって、安みなく、誰かが歌い、終わりまで続いた。

 伴奏に合わせて、最初はビクトールが歌い、次に、私が指定された。 。日本んン

日本語で良いから、なんでも合わせて歌え、という。

 ええい、と歌い出したら,英語だった。日本語は出て来な、拍手。それから順番に客が歌っていく。

感想とか、楽しいとか。すごく楽しい。今度来る時は、ファドの一つぐらい歌いたいと思った。最後は,皆で踊りながら歌った。順番に抱き合って盛り上がった。

なんて楽しい夜だろう。

 日本のご飯と味噌汁と海苔、食べてもらいたくて、持って行った。キッチン付きではなかったので、使うことがなかったからだけど、使えていたら、このファドハウスを知らなかったかもしれない。

 それもラッキーだった。

歌は、ずっと離れないで耳に残っている。夜中、寝られなくて吐いた。

 食べ残していけないと思い、すっかり食べたのがいけない。ワインも500も飲んだ。それで踊ったりしたからだ。

 リスボンの最後の夜、楽しい思い出を抱いて,日本に帰ろう。