センスが良くて、素敵な人は、垢抜けた人

 

     

 まだ母が、買い物マニアであったころ、母に買ってもらった、洋服を、日曜の廃品回収の日に、思い切って、沢山処分した。ビニール袋に詰めて、3袋。

自分では、到底買えない、高価なものだから、捨てられなくて置いていたけれど、

形が古く、肩パットが入って、素材は良いものの、軽いものしか受け付けない体には、重いので、これから先、着ることはないだろう。

 何度か、袖を通したものもあれば、まだ、値札がついたままのものも。

スタイリストをしていた、大学時代の仲間の一人が、「2年袖を通さなかったものは、まず着ないから、処分すべき。」と言っていたのを思い出しながら。

、立派に、捨てもの、と自分に納得させたはずだけど、出先から帰って、家の前になくなっているのを見ると、心が寒い。

文庫本も、アメリカに送ろうと思っていた日本作家のものや、海外小説の翻訳ものなど、字が小さいので、読みづらいもの、ほとんど捨てた。

まだ読んでいない、岩波文庫を捨ててしまったことで、心が痛い。

 身の回りにある、というだけで、気分が落ち着いているのは、執着心と、物欲が深いわけだけど、心が寂しい。

 

 片づけられるうちに、と、タンスから、重い衣服を出したり、本を運んだりしていたら、

 左手の捻挫した所が、少し良くなっていたのに、ま再び、悪化して、持ち運びに支障をきたすようになった。ずきずき痛んだり。

 

図書館で借りた、字のでっかい文芸書を寝転んで読んでいると、腕は痛いわ、だるいわ。

物持ちから、物なしになって、軽くなった分、少々の重さも、耐えかねる。

今日の、徹子の部屋、に、岸恵子がゲストに。

いつも素敵な岸恵子さん。今日は、夏用の毛皮のコートの中に、黒のドレス。流行だそう。

徹子の部屋に、初回から10回ほど出演での、岸恵子スタイルの写真が、次々に写しだされた。

 お洒落でセンス抜群の、岸恵子さん。スタイルも抜群。

「お洋服を買うのが大好きなので、随分買います。」

「着ないで、とっとくの?」と徹子が質問。

「あげることも多いのよ。上だけあげて、下が残ってたり。」

映し出される、自身の写真をみながら、

「このころは、ウエスト58センチだったの。今はとても。」

この間まで、スカーレット並のプロポーションを保っていたわけだ。

お洒落上手で、あか抜けた人は、随分沢山買って、沢山処分している。

沢山買って、沢山捨てて、沢山お金浪費して、寒い、痛いの思いしてセンスを磨く。自分いふさわしい衣類を身にまとうようになる。

お姑さんだった人は、普段着が着物の人だった。

楽に、馴染んで、着物が良く似合う。時々、洋服を着ると、全くそぐわない。別人のようにやぼったく感じられた。

「着物百枚、といって、百枚くらい、着ないと、着物は着られないもの。」と言っておられた、着物道楽の人だった。毎週、美容院で、頭を洗ってもらって、セットしてもらって。

  

 身に着くもので、その人の人格がわかるもの。その人の思想や、生き方がわかる。

 私の場合、中途半端な性格が、そのまま、身の回わりに現れている。

 

 友人の中に、とてもお洒落上手な人がいる。

学生時代から、自分にあった、ファッションがしたくて、衣服を縫っていた。買うお金までないから、と。

彼女が、最もこだわるのは、色合わせ。カラーコーディネイトになりたかったけれど、ご主人の世話が優先される、裕福な家庭の、奥様になって、それはかなわなかったけれど、

彼女のセンス磨きには、益々磨きがかかって、私のダササと、どんどん開きが出る一方で、

たまに会うだけなのだけど、会えば、新しいファッションの先駆け。

この前、会ったときに、スニーカーを履いて来た。半年以上前のこと。

最近、スニーカーが流行していて、ファッションの番組で、コーディネーターが、スニーカーに合わせた服装を紹介していた。

 流行にさきがけて、誰も着ていない頃に、自分のスタイルに取り入れて、楽しんでいる。

彼女は、多くを手元置かない。家は、いつもすっきり片付いていて、部屋のコーディネイトのセンスも抜群。広々とした空間が、心地よい。

 新しい本を、沢山読む人で、読んでしまうと、ブックオフに持っていくという。

  玉三郎や、猿之助、はいわずもがな、ビート武も、普通の人とは全く違う。

自分という存在を、客観的に見つめ、その自分を最も素敵に見せる服を、沢山着こなしてきたからだろう。

 垢抜けている人、という別名がある。つまりは、身に垢を貯めていない人の事をいうのだなあ。あかすりしたら、身体が軽くなると言われるけど、けっこう、あれ、痛いんだよ。