先日、買った、岸恵子の小説「わりなき恋」を昨夜、読み終えた。
村上春樹の「色彩のない、多崎つくる」は一気に、引き込まれるように
して、読み終えたけれど、こちらの方は、夕食後、寝る前に、4日間ほど
かけて。
パリのマレ地区にある、アパートと、横浜の、日本造りの古い家屋は、岸恵子の実際住まいだし、この小説の進行時に、岸恵子は、中東や、アフリカ、フランスなどを、現地から、紹介している、番組をいくつか見ている。
飛行機の中で、知り合った、ビジネスマンとの、7年間の、恋の軌跡を描いた小説で、
岸恵子は、当時70歳、男性は、還暦を二年後に控えた、妻帯者。
フィクションを織り交ぜて、小説は、11年3月の、東北大震災の悲劇を契機に、
わりなき恋は、終止符を迎える。
フィクションの小説として、読めば、違和感のない、文章でも、モデルとして、、彼女自身のイメージが浮かんで来て、人から賞賛に慣れている人の、特殊な文章に、ついていけなさ、も。
彼女の孤独は、私にも、十分共感を覚える所は、あるのだけれど、表層的な部分ばかり、
目について、深層での、二人の、心の琴線に触れる部分が雑で、もの足りない。
70歳でも、驚異的な若さと美しさを維持している、インテリジェンスに溢れた、上品な有名女性に、のめりこんだ、「日本株式会社」のエリートサラリーマン。
忙しく、世界を股にかけて、働く男性は、家庭を帰り見る暇もなく、5人の子供は、母親と一体化して、家族の中で違和感を抱いている。
女には、娘がいるが、フランスにいて、結婚し、2人の子供がいるが、家族という感覚はまるでなく、ほとんど会うこともない娘たちと孫。
ミーハー的な、好奇心で、最期まで読めるので、エンターチメントとしては、肩がこらなくて良いかもしれないけれど、深みがない。岸恵子が、小説の中に、「かくも長き不在」を入れているので、書棚から引っ張り出して、再び、同時並行で、読み始めた、
デュラスの「かくも長き不在」は、愛の深さ、本質的な、愛の苦悩と、真実が表現されている。
村上春樹の本が読みたくて、本屋で文庫本を買おうかと思って、ふと図書館があることを思いました。
いつも車で通るのだけど、ここ何年か、使っていない。
外は暑いぐらい暖かい。家にいると、分厚いセーターでも、寒いくらいなのに。
村上春樹の「IQ84」があった。
上巻だけ読んだ、五木の「親鸞」は激動編の上下があり、親鸞の下巻は、予約した。
村上春樹の本は、ほとんど、下巻しかなかったので、その上巻を予約。
以前は、7冊だったが、今は10冊まで借りられるようになっている。
本のほかに、朗読のCDも借りられるようになったという。
椅子に座って、本や新聞、雑誌を読んでいる人が沢山いる。
読みたい本が一杯。私は、7冊ほど借りた。重い。返却するまでの
読めるかな。
花水木が並木道に咲いている。