パリの図書館
ブログを書こうと思い、その前に、日本の様々をチェック。明石での「言の葉」コンサートのチケットをそこで買えば良いかと、玉三郎のホームページを見たら、今月のブログが
載っていた。
http://www.tamasaburo.co.jp/ 玉三郎ホームページ
毎月、初めに、近況が語られる。
その中で、オルセーとルーブルに行った時の話が出ていた。
オルセーには、休館日に、一人で観ることが出来たそう。
その中で、私が、感動したのは、玉三郎も、ゴッホの「星降る夜」に心が震えるほどの深い感情を抱いたと書いていて、それに、「オーベールにの教会」には、言葉ではあらわせないが、深い感動を覚えたと。
一緒だ。やはり、玉三郎も、この二つの絵画に、心を奪われたのだ。読むうちに、鳥肌が立って。
そして、沖縄の「組踊」の稽古をしている。
京都芸術劇場に、人間国宝になっている、沖縄の「組曲」の踊り手によるものを観たくて、
出かけて行った。その時から、興味を持っていた「組踊り」玉三郎のも観たいなあ。
玉三郎と、心に響くものが、一緒だと思うと、凄く嬉しい。共通の思いを抱いているという喜びと共に、自分の見方への信頼のようなものが。
玉三郎が去ったパリ。、
今日は、マレを歩こうと思い、さて、でかけようと思ったら、帽子がない。中華料理店意外には考えられない。
帰りに取りに行くことにして、地下鉄のサン、ポールで降りて、マレ地区を歩いた。
この地区に、私が欲しい、バッグの店があるとか、でもそのバッグ屋さんの名前を書き留めたのを日本に忘れて来て、いつも持っているバッグなのに、ブランド名がわからない。
以前は、プランタンにあったが、今はなくて、どこでも見かけない。
マレ地区は、歩くだけでも、楽しい地区なので。個性的出センスの良い店が、古い町並みの中に、点在して店を出している。
マレは、ユダヤ地区なので、以前に、髪の長い、黒ずくめの人達を見かけたものだけど、最近では観光地になっているようだ。
マレには、ピカソ美術館もあるが、今は閉館中。
マレは、1900年までに、6000人のユダヤ人が、ルーマニア、ロシア、ハンガリー、オーストリアからここに、居を構えた。その後、1914年までに、3000人が更に、ここに移り住んだ、とか。
この界隈にある、カルナバレ美術館は、パリの風景の変遷やパリで暮らしていた人達の生活や、ルイ16世の部屋などが展示されている。
ここは無料の美術館で、貴重な資料を持っている美術館でもある。
フィロソフ
日本人画家の、赤木さんの作品も沢山入っていると、従姉妹から聞いていた。
パリの風景や、建物を、克明に描いた、赤木さんの作品は、パリ建築の設計や構造、外観を精細に描いたものだから、だとか。絵画も沢山あって、ゆっくり観る時間がなくて、閉館時間がきた。
カルナバレを出て、ヴォージュ広場のほうに向かって歩いた。
パリで最も美しい広場を言われている。公園を挟んで、四方に、美しい煉瓦色の建物が建ち、その一階は、ギャラリーが店を開いている。
ユゴーの家
ユゴーの家も、この一角にある。
以前と同じ、作品をずっと飾っているので、専属のアーティスを扱っている店が多い。
ヴォージュ広場から、バスティーユ広場まで歩く。
バスチーユ広場の向こうに、オペラ座の中が明るいく、人が動いているのが見える。
今夜は、公演があるのだと思って、5ユーロの立ち見席の売り場に行ってみた。
当然の如く、立ち見席は売り切れ。
6時から売り出されるのに、1時間半前から皆、並んで待っている。
私も常連だったが、今回は、パスだな。
最上階まで、駆け上がって、持ち場を確保する元気がないわ。それに、この寒さの中を、震えながら、外で並び待ちまでして、5ユーロの席を買う気にもなれない。
売り切れているのだもの、そうやって買いに来ている人達が沢山いるのだ。
もし、あれば、きっと買って、観て帰る所だった。
バスティーユから、8番腺の地下鉄で、マドレーヌに行った。
帽子を取りに。
中華料理の店は、客が一組。ランチとは大違いの閑散。
「昨日、帽子を忘れました。」というと、
店主が、笑いながら、帽子を出してきて、おどけて帽子を回して見せる。
良かった。
他のレストランも空いている。夜はこんな感じなのだ。不景気だもの。
パリの若い人達は、食べられないので、痩せている。
マドレーヌにある、フォーションには、人がいる。お金持ちと、貧乏人の較差は広がる一方だ。
マドレーヌ広場のお花屋さん
カフェにも若い人達が。外はまだ寒いのに、
テラスのテーブルに座って、おしゃべりしている。
パリは、たばこ好きが多い。カフェかワインとたばこに、テラス。
帰りに、モノプリで買い物をどっさりして、アパートに帰った。
テレビでは、元気な年寄りの生活、長生きするための涙ぐましい、健康運動などのドキュメンタリーが映されている。
どこでも同じ問題が取り上げられている。