松本俊介「生誕100年」展覧会

   

http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20120523_163046.html y 市の橋

昨夜、NHKの日曜美術館で、松本俊介 の絵画を紹介していた。

 いつも、日曜美術館を見ているわけではない。オリンピックを見ていて、チャンネルを変えたら、「松本俊介」という言葉が飛び込んできた。

 初めて、松本俊介の絵画「立てる像」を展覧会の一作品として見たときに、強烈な印象を受けた。

 その時に、松本俊介、という名前を覚えていて吉田さんの、絵画展が、鶴岡八幡宮で開催された際に、神奈川県立美術館で、「立てる像」のポスターを見て、入ったら、松本俊介の絵画が、この美術館のメインだった。

 戦後のY市の橋

 そして、昨夜、松本俊介の画業を作品と共に、紹介されていた。

 「Y市の橋」を、松本は、何度も描いている。実際の風景では、ない建物や、実際には、見えるはずのない、視界から離れた所にあるものを、視界の中に、デフォルメして、風景画が描かれている。

 「立てる像」も同じだ。人物が、風景よりも、遙かに大きく描かれて、「私」という存在そのものを、描いている。

 松本の絵画は、心象風景だと解説されている。そうだ、私がこれほど、強烈な印象を受けて、この人の絵画に心を惹かれるのは、松本俊介の「心象」だったに違いない。

 来週の、日曜日の朝、この放送が、再放送されるのではないか、と思う。以前に、夜見ていたものを、次の日曜日の朝、見たことがあったから。

 松本俊介の今年が、生誕100年にあたるとか。

 戦争中に、戦争に荷担して、戦争を鼓舞するような絵画を描いていた画家達が、戦後、カメレオンのように、変わり身の早さを見せるのを、認められなかった画家の一人だ。

 吉田さんは、「フジタ」の絵画を認めなかったように。吉田さんが、黒一色でしか、絵画を描けなかったのも、「心象」

 松本俊介の「y市の橋」を模写してみせた、斉藤さんは、松本俊介が、昭和23年の6月に、36才の若さで、この世を去る年に、病床を見舞った画家だ。

 気持ち良く描けたよ、という絶筆となった、「建物」1948年5月は、松本俊介の「心象風景」そのもので、黒の線が自由に踊るように走っている。

 この展覧会は、宮城で開催中、次に島根に行くよう。世田谷の東京で、11月にも。