心身は一体。オリンピックを見て。

    

 人間の心ほど、壊れやすいものはない。そして、心ほど、強固なものはない。

相反する言葉だけど、それは事実だ。

強靭な心は、ひとえに、精神力の鍛錬のたまものだけれど、それは同時に、身体の鍛錬と不可分だ。

 禅の修行者が、悟りを得るまでに要求される、心身の鍛練がそれを証明している。

オリンピックで、勝敗を分けるものも、心身の鍛練で、揺るぎない闘争心と鍛え上げた訓練による、身体の持てる能力を発揮出来るかによるように思われる。

心に不安は、心配をかかえると、その隙にやられてしまう。

 勝てたかもしれない試合、ミスがなければ、と後悔している選手達が、更に、次のオリンピックに向けて、リベンジを狙い、更に強固な身体作りと強い心を養うことを、自らに誓っている。

 オリンピックは、参加することに意義がある、と私達が言ってきたことは、最早死語となりつつある。

 メダル争いに、終始している。

最も美しい色のメダル、金が目標になっている。日本は、今回のオリンピックで、お家芸の柔道男子が、金メダルを取れなかった。サッカー男子の昨夜の試合を見ていると、心の折れが、勝敗を分けたように思われる。心がひずんで、身体が思うように動かなくなった。 敏速な判断が出来なくなった。

体操の内村選手も、ストレスというものを感じたことのなかった人が、団体戦では、プレッシャに押されて、あるはずのないミスをした。

個人団体では、金メダルを取れたのは、最初に、苦手な鞍馬をクリアー出来たことが、その後の演技を押した。

 今回のオリンピックで、団体戦の強さが目立っている。チームワークでの戦いで、メダルを取る種目が多い。

  日本が野球に強いのも、チームワークが得意だからだ。自分の立ち位置を、周りの人との関係によって、把握することが旨い。

 くしくも、「二番ではだめなんですか?」と言わしめた、日本的な言葉が、今回のオリンピックでは、銀メダルのラッシュとなって、証明されている。

皆で渡れば、怖くない。田植え民族の民族性が、オリンピックへ支援と強化によって、

 メダル争いに負けない強さを作っていた。 

 

 心を囚われないで、無心に戦えれば、自ずと持てる力の全て、それ以上の力を発揮出来る。人間に備わった、底知れぬ能力が、どこまで伸びていくのだろうか。

  心ほど、壊れやすいものはない。昨日まで、安定していた心が、ある小さな言動によって、すっかり打ちのめされ、心が傷つくことがある。

  修行が足りないのだ、と私は思うけれど、一旦囚われると、そこから抜け出せないで、 何もする気になれない時がある。心が痛む時、そこから抜け出す方法は、ただ、がむしゃらに、身体を疲れさせることだろう。がむしゃらに動くことが一番。