安藤忠雄の話を聞いて、物思う。

  空腹を満たせてくれるもの

花粉症の一つの表れなのかな。このドライアイ。

安藤忠雄が、働いて貯めたお金に、お母さんがカンパして、ヨーロッパに、建築を見に行った。

 お母さんが偉い。「あなたに投資をしなさい。」とおっしゃった。

 安藤忠雄は、建築を見ても、何もわからない。何度も出かけているうちに、なんとなく、見えてくるもの、迫ってくるものがあった。見続けて、建築の側で寝てしまうことも。

 ただわからないから、ひたすら建築物をスケッチした。

  大学に行けなかった安藤忠夫は、一級建築士の資格を取って、日本で事務所を開いたものの、コンペには入賞出来ず、仕事はなく、自分の作りたい構想を、大阪市に売り込みに行くが、 一笑に伏されるだけ。

  飛び込みで、家を作りませんか、しつこく、粘り強く、建築を建ててくれる客を捜した。 ボクシングのように、相手に、ボディーキックをぶつけては、すかを食らうようなものだろう。

 安藤忠雄は、本から学んだ。書物から、たいていのものは学べると、言う。

 確かにそうだ、と私は感心して聞いている。

魔法の馬車が来てくれないかな

 昨日、友人が言った。

 デザインというのは、あっちのものとこっちのものをひっつけて、複合するだけなのよ。 彼女は、デザイン事務所の実態を見てきた人。

 安藤忠雄の建築は、敬愛するという建築家の作品とそっくりだわ、と彼女は言う。

 そう。安藤忠雄は、自分の事務所に、沢山の模型を置いている。どれも、他の素晴らしい建築をした人のものなのだとか。

 いつか、これよりも良いものを作ってやるぞ、と目指してるいるのだが、なかなか越えられない、と言う。

友人が言った。

 三浦綾子は、何も経験していないのに、よくまあ、あれだけ、人間の心模様を描けたものだ、と。病床でずっと寝たきりだったのに、と。

 「病気で床についていたから、本を沢山読んでいたのではないかな。それに、ご主人が資料を提供して、動けない分手伝っていたでしょうね。」と私は想像して言う。

 シェークスピアも、自国から一歩も出ないで、マクベスや、ロミオとジュリエット、オセロに、デンマークハムレット、その国人間であるかのように描き上げている。

 書物から、世界を学んでいたのだろう。

甘いんだよ

 「薔薇の名前」という映画でも、知識の宝庫、歴史の史実。語り継がれた、言葉の書物が出てくる。

  下積みがあって、作品は生まれる。自分に投資した分、それだけ豊かに、脳内の複雑なパズルを組み立てて、作品を、構築していけるのだ、と思う。

  職人になるのに、親方は手取り足取り教えてくれるわけではない。 親方の仕事を見て、親方の技を盗むことで、自分の技を磨いていく。役者だって、そう。

それらは、全て自分への投資だ。

 私の本棚には、積ん読の本が結構ある。フランスで買った本、辞書、美術館のカタログ、

 どれも、積ん読で、そのうちにと思っていたら、最近、目がだめ。根気もない。

 読めなくなって。本を見てはイライラ。

  映画だって、最近は、2本のはしごがせいぜいで、その後、ドライアイに。

  若いときの貯金がない。こつこつ、真面目に、くそがつくほど、馬鹿がつくほど、寝食を忘れて、というくらい、真剣に物事に取り組んだ人だけが、その道を究められるのだ、と思う。

 空費してきた、人生に、空っぽの頭で、嘆いてみても、遅い。

 貯金がない。投資しても、無駄な投資をしてきたのだと、気づいた

頃には、遅かりし、内蔵助。