早くから、草間弥生の展覧会が気になっていて、今日、ついに。
私って、思い立たないと、腰が上がらない質で、つまりは、めんどうぐさがりで、ものぐさな性分なのだ。そのうちに、と暢気に思っているわけではなく、一日が、あっといまに過ぎて行く。
暖かくなれば、終末が近づけば、人がどっと押し寄せるから、と友人のお願いして、付き合ってもらった。
彼女は、草間弥生の名前も知らないし、前衛アートや、わけのわからない映画には、全く興味のない人なんだけど、美術館に、問い合わせて、身障者手帳を持っている人の付き添いは無料だと、確かめて、杖のいる友人を連れ出した。
リーガロイヤルまで、ホテルのバスに乗って行き、地下二階にある、浪花かっぽうの「みをつくし」で、週変わりの昼食を。こちらは20パーセント引きの券を持って来たので、少しばかりの、私のメリットを利用してもらった。
いつもは、ひっそりとしている美術館に、喜びの花がぱっとさいたような、赤い水玉の白いオブジェに、胸がわくわくして、透明なアクリルの水玉のカーテンに吸い寄せられるよう。
すごいね、と驚嘆。
水玉模様は、きっと誰もが好きなのだ。子供の頃から、郷愁もこめて、憧れもあって、 好きなのだ。大胆なのに、統一されていて、古典的でいて、新しい。
宇宙を彩る、星の数々も、実は水玉、涙のひとしずくが、一杯、一杯、無限に出来ていく。人の目も、水玉のよう。宇宙の目なのかも。
いろんな想像という自由空間に、「永遠の、永遠の、永遠」の草間弥生が、先頭に立って、 魔法の杖に絵の具をつけて、描きあげた作品を次から次に、円盤のように、回転しながら、美術館の壁を埋めていく。
人間には、底知れぬエネルギーがあるのだ。ほとんどの人が、その力を使っていない、眠らせているのだ、と感じさせる。
とてもとても、果てしなく遠くまで、命の炎をエネルギーとして積んだ、小さな白いロケットが宇宙空間の果てまで飛び続けている。
本当は、誰にでも、あるのかもしれない。永遠に向かって、命の限り、生き続けるエネルギーは、はかりしれないものがあるのかもしれない。
なのに、私は、それを空費して、何も使わないで、死んで行くのだろうか。
人間は、宇宙の中の、ほんの小さな存在だけど、その力は、ものすごくて、知らない能力、使わない才能を燃やさずに、散って行くのだろうか。
あの冷たい、涙のしずく、青い水玉になって、宇宙の空に。
すごい。草間弥生は、すごい。
トップアーティストになりたい。ピカソを超えて。
目標が明確にあるのだから、またすごい。
誰も到達できない場所に、誰も到達出来ないアートを
200年も、300年も、永遠の、永遠の、永遠
草間弥生の「詩の言葉」も素晴らしい。
草間弥生は、自家発電しながら、エネルギーが
どんどん強くなっていく。滑車を走らせて
回転が速くなって、どんどんスピードをあげて
ますますエネルギーを増大させていく。
同行してもらった、友人も、好きだ、と。
草間弥生は、無関心な人々の心をも揺るがすようだ