命の輝き、介護の力

  

 病院に叔母を訪ねた。病院の近くに住む従姉妹が、毎日のように、叔母を見舞って、何かと世話をしてくれている。

 この前行った時に、叔母が、少しなら、口から入れても良いと言われ、ハーゲンダッツのアイスクリームを食べさせてあげたら、半分以上、美味しいと食べてくれた。

 従姉妹が、できたてのコーヒーをポットに入れて、病院にやってきた。

 とろみをつけて、コーヒーの味を楽しめるようになって、コーヒー好きの叔母のため、市販ではなく、家から持参してくれている。

 

先日、従姉妹からのメールで、看護婦長から、お寿司を少しなら、との許可が出た、と。 でもそれは危ないのでは、と思いながらも、そんなに回復しているの、とも。

  その知らせを聞いていたものだから、病院に行って、まだ叔母が鼻からチューブを入れているのを見て、一瞬戸惑ってしまったけれど、鼻からチューブを入れての、ミルク栄養が続いていることには違いない。

 弟と入れ違いだとか。従姉妹は病室に1人でいて、ベッドはなかった。

リハビリに行っているとのこと。弟が、介護認定の人を連れて、やって来て、今帰ったところだとか。級が上がって、4級に昇格することになれば、特養に、入居しやすくなるのでは?との配慮から。審査を頼んでいた。

 この病院に入院した時には、叔母はまだ伝い歩きが出来たのだ。病院の方針で、患者は おしめの取り替えをするようになって、寝たきりの状態になった。

人生の下降を辿っているのですと言われ、有料の老人ホームには、入居は無理なので、後は、特養への望みしか持てなかった。寝たきりで、車椅子も無理だと言われていた。

 けれど、叔母は回復に向かっている。

 リハビリ室に行くと、男の人が、叔母のリハビリに当たっていた。

 「久しぶりね。」と叔母の声ははっきりして、力があった。ほとんど聞き取れず、口も開かず、から、だんだん分かるようになっては来ていたけれど。

 以前よりも、ずっと元気になっているのに、びっくり。

 リハビリの先生に、それとなく、叔母は車椅子を使うようになれるのでは?と聞いてみた。足がここまで曲がるから、リハビリを続ければとの返事が返って来た。

「痛くても、動かして、努力したら、どこだって行けるようになるよ。レストランにも行けるし、デパートにも行ける。車いすだったら、普通の生活が出来るから。」

「1人ではいけないわ。」と叔母

「勿論、一緒に行くのよ。」

 叔母は嬉しそうに、

「死にたいと思っているくらいなのに。」と。

叔母は生きたいと思っている。決して死にたいとは思っていない。

 リハビリ室から帰り、私が持って行った、小芋のアイスクリームを口に入れてあげると、 甘くなくて美味しいと、こちらが心配するくらい、何度も口に入れる。

 チョコレートも一つ、大きいので、4つに割って、口に入れると、溶けるのを楽しみながら、一個食べてしまった。

 持って行った、バナナも食べるというので、刷り棒で、潰して、口に。

 食欲も出て、美味しいと味わうことが出来るようになったのは嬉しい。けれど、また、痰がからまないか、熱が出てこないか、心配だった。

 

 翌日も来るという従姉妹が、その後の状態をメールしてくれるという。

 こんなに食べたのは初めて。お寿司はやはりまだだめだとのこと、そうだろうと思っていた。

 叔母は、弟が来てくれたのも嬉しかった。元気になろうという前向きな気持ちが強くなっている。そんな中で、食べ過ぎたのではとすごく心配になっていた。

 翌日、従姉妹からのメールで、叔母は元気で、体調はどうもなく、看護婦長からの指示で、リハビリが連日してもらえたとのこと。

 きっとあのリハビリの先生が、家族の意向と、叔母の可能性を伝えてくれたのだ。

 以前に、私が、看護婦長に、別費用で、リハビリをもっとやってもらえないかと尋ねたら、

「ここではそういうことは出来ません。そういう要望なら、リハビリ病院に行ってもらうしかないですね。ですが、リハビリで、車椅子に座れるとか歩けるようになるとか出来ません。 骨が骨ソショウなので、曲げると折れてしまいます。車いすは無理です。リハビリということではなく、マッサージくらいだと思ってください。」と言われていたのだ。

 叔母は、二日目には、自分で起き上がって、伝い歩きの平行棒にまで、連れて行ってもらえたと。

 叔母の回復ぶりを、病院の介護の人達も看護婦長も、、喜んで くださって、涙してくれた人もいる。ほとんどの患者さんが、死に行く介護型の病院だから、絶望しかけていた叔母の状態からの、徐々に、確実に回復の兆しを見せている、叔母は、介護する人達の、心を明るくし、希望の喜びを与えている。

こういう風に、患者が救われていくのは、家族の力が大きい。

 

 私の母の場合でも、毎日病院に詰めていたから、手術は無理だと言われていたけれど、 手術の出来る病院があればと、主治医から、協力してもらえた。手術しなければ、6ヶ月の命だったけれど、入院していた病院では、年だからと、手術はしない方針だった。

また、ある病院では、肺炎だと診断され、そのままの治療だと、母は、亡くなっていた所だった。リウマチ性のものではないか、と何度も、主治医に。 一月経って、やっとリウマチの反応が出て、治療法を切り替えてもらったら、体中から痛みは消え、みるみる元気になって行った。

 医者は、自分の判断を撤回することを好まない。ましてや、副院長だったわけだから。 医者の思い込みで誤診というのは、多いのではないだろうか。老人に対する医者の意識も問題がある。

  家族が日参して、病人に付き添い介護していると、病院のほうでも、それなりに、対応が違ってくる。それが患者を救うことにつながっていく。