日本館で、今、「5000年の日本の美術 」というテーマで特別展を開催中。
紀元前に使われていた縫い針、埴輪から始まり、陶器や、書画、屏風などが展示されている。
最近、陶器と書に、興味をそそられる。パリで、細川護煕の展覧会を見たことの影響も大きい。メトロポリタンで、桃山、室町、江戸時代の、陶器を見比べてみる。私には時代考証などわからないけれど、日本の陶器は、優しさに溢れている。暖かさがある。
豊かな風合いを持つシンプル。
信楽の壺は素晴らしい。釉薬が流れ出し、焼きで自然に造りだされた色とつや。
柿右衛門の壺は、なんとも言えないくらい、美しい。品格というのは、柿右衛門の壺や、信楽の大壺、江戸の皿、桃山の優雅さ、室町のワビ、どれを取っても、感じられる。控えめな上品さが、美意識の洗練された美しさがある。
絵は、一筆がきのような、潔さと、それを包む、空間の余白に重きを置いている。
ゆとりをもって、遊び心がある。
書にも、それが現れる。書がこれんほど魅力的な、とは若い頃はわからなかった。今だって、わかっているわけではない。
なんて良いのだろう。素晴らしい。ただ感嘆する。
鍛錬に鍛錬を繰り返し、取り返しの付かない、一筆を置いた瞬間から、一気に心の動きと連動して、書き上げていく書。黒と白のせめぎ合い、共存を許し、合一して、完結する。
力と、動き、形に、空気と時間。宇宙を映す。
陶器と、書、そういう観点から見ると、心を奪われ、魅惑的な作品を見ると、言葉知らずの境地。幸福感を与えてくれる、それらの作品は、平和の伝道師の錬金術だ。