モンマルトル墓地から、テルトル広場

 サン、ラザール

 モンマルトルに行くまでに、サン、ラザールの駅が見たくなった。映画では「男の女」「終着駅」で撮影された駅、モネの絵画でもおなじみの駅。

 長距離線に、ローマはなかったけれど、ルーアンシェルブール、カーン行きなどの案内を見ていると、どこかに日帰りにでも行きたくなる。旅行気分は駅だけで、

エミール、ゾラの墓

モンマルトルのお墓に行った。高須高徳が、モンマルトルのお墓に埋葬してほしいと遺言を残し、モンマルトルのお墓に埋葬されていると、吉田さんから聞いていた。

パリの風景を描いた画家で、佐伯のパリとは違って、明るいパリの町を描いていた画家。 モンマルトル墓地の地図には、高須さんの名前はなかった。

日本人画家で世界的に名の知れている、藤田嗣治なら、あっただろうけれど。

 モンマルトル墓地には、エミール、ゾラ、スタンダール、二十世紀の哲学者として、デリダフーコーの名前があった。アレキサンドル、デュマ、もこの墓地で眠っている。

 大学の講義で、教授がモンマルトル墓地に、スタンダールのお墓参りをされたと聞いていた。

 私はエミール、ゾラと、スタンダールのお墓にお参りしただけ。モンマルトルは、ペール、ラ、シェーズよりずっと小さい。

お墓からモンマルトルの上がり口に、95番のバス停がある。そこで、吉田さんと、バスを待っていたことがある。モンパルナスに行くバス。

 一日中、歩いて、疲れ切っていた。延べ9時間くらい、歩きづめで、吉田さんは、お元気だった。

95番に乗って、終点のポルト、ド、モンマルトルまで乗ってみた。がらくたの蚤の市が。

 電気部品、靴、衣類に、どれもがらくたばかり。後で知ったのだけど、クリニャンクールの蚤の市だった。外れの広場に出している市だった。

芸術の道具に買って行く人もいるらしい。古いファッションの靴など。

 テルトル広場は、変わってしまった。似顔絵描きの画家が、昔は2,3人だった。中央の広場は、広場のままだった。その回りに、絵描きが、絵を並べて売っていた。レストランもカフェも殆どなかった。

 今は、似顔絵描きで回りは埋まり、中の広場はカフェ、外側の道路までテーブル出ている。絵を並べている、絵描きは少なくなった。殆どが、似顔絵書き。何十人といる。

 テアトル広場の周辺は、カフェと、似顔絵描きと観光客の3点セットになってしまった。

 似顔絵を描く人の中に、日本人も、3,4人は混じっている。その中にいる、中年の男の人が、観光客に、似顔絵はどうか、と笑いながら誘っていたが、私と目が合うと、一瞬顔を硬くして、目をそらした。

 

 18区の市庁舎の前から、モンマルトルのテルトル広場まで、ミニバスが巡回運転している。テルトル広場のバス亭で待っていると、大型の自動車が乗り込んで来て、駐まった。中から、大金持ちそうな、アルカポネの親分のような、白髪の老人と、婦人が出て来て、 腕を組んで、広場の方にゆっくりと歩いて行った。