小倉遊亀展

 

小倉遊亀展を観に行った。最終日を4月4日に控えて、休み明けの火曜日は、朝から人が多かった。六甲から友人の車に便乗させてもらった。新しい車は、大きくて中がゴージャス。これが噂の、トヨタエコカーなんだ。

 良かったわ、と先に行った友人、知人から聞いていたので、期待は更に膨らんでいた。確かに、心を動かされる作品は、沢山あった。特に、子供を描いた絵画は、小倉遊亀が子供に対する愛情と、優しい目を注いでいることが、こちらにストレートに伝わって来て、感動的だった。

 絵は、線と色で表現されるということを、小倉遊亀の絵は、几帳面に、けなげに表現することで、改めて、思い出させてくれる。

 絵画には、頑固なまでに、自分にしかない個性を押し出す人の絵と、一生代わり続ける人の絵があるように思う。

小倉遊亀の絵画は、様々な試みを絵画に取り入れながら、昨日ではない、自分を生涯求め続けた人の絵だと思う。

 マチスに惹かれ、マチスの模倣ではないか、とさえ思われる作品もあれば、これ、ピカソみたい、とか、ふーん、モジリアーニのようでもあったり。セザンヌの影響も。

 日本画の手法で、絵画に、宇宙空間を表現しようとしたのではないか、と思う。

 静物画に、動を取り入れることで、果物は生きているのだ、ということを表現する。バランスを崩すことも、彼女の意図であったと思われる。

 晩年の絵画は、あらゆる制約を超えて、自由空間に、見た目の飛び込んできた、静物が心に感動を与える様を、一気に描いて行こうとする強い力を感じた。

 

 日本画を観ていると、心が安まり、おだやかで静かな気持ちになるものが多いが、小倉遊亀の絵画は、おだやかで、優しい絵画から、晩年にかけて、激しく、大胆に、エネルギッシュになって、境界を超え、未知の世界を模索することで、彼女自身も、出来てみなければわからない絵画の世界を「遊亀」していたのではないか、そんなことを感じる展覧会だった。