映画「ハート、ロッカー」

 

http://hurtlocker.jp/

http://oscar.go.com/oscar-night/winners?cid=10_oscars_landingCallout_nominations

ハート、ロッカー

今年のアカデミー賞に選ばれた「ハート、ロッカー」を見た。

混んでいるかなと、前日にチケットを予約していたけれど、案外空いていた。

皆さん、あまり興味ないのかしら。

 ドキュメンタリー風に作られているので、最初は、このまま続いてけば、ニュースを見ているような感じがしたけれど、次第に、物語が展開され、引き込まれていく。

 若い3人組の女の子達は、つまらないと思ったのか、それとも、映画に中にチケットなしで入っていたのか、始まって、まもなく出て行った。

「 ハート、ロッカー 」は爆弾処理班の話だ。危険を伴いながら、爆弾を見つけて、爆破する前に、処理していく。命をかけた危険な仕事。

カメラは、迫力があり、ダイナミックで、臨場感抜群の作品だ。

一体、何のために、彼ら、カナダ人の兵士が、危険と向かいあって、命の危険にさらされなければならないのか。

 アラブ人達は、自爆装置をつけられなければならないのか。

「民主主義とテロとの戦い」とアメリカの前大統領、ブッシュも、現大統領のオバマも、声高に、叫ぶけれど、「国益」の為ではないか。

先日、テレビでアメリカの報道官が言っていた。

イラクは今後10年もすれば、世界有数の産油国になるだろう。

つまり、アメリカは、石油を確保したいがために、イラクに侵攻したのだ。

石油の為に、多くの戦死者と、現地の犠牲者を出し、憎しみの連鎖を作りだしている。

 日本が、太平洋戦争に突入したのも、アメリカによる石油封鎖だった。

 山崎豊子の「不毛地帯」で、イランの石油開発にかける、ロシアでの長い捕虜体験者、壱岐

アメリカにとって、兵士達の命よりも、大事なのは、石油、中東の人々の命よりも大切なのは、石油なのだ。

そう思いながら、この映画を見ていると、どうしようもない腹立たしさを感じる。

 この映画の中で、処理班の兵士が、仲良くなった子供が、殺されて、体に爆弾を入れられている。兵士は、その建物ごと爆破すると一旦は決めるが、それをやめ、体の中の爆弾を取り出し、亡骸を葬る。

 それ以来、子供達が寄ってきても、無視するようになる。辛すぎて、年限的なかかわりを持てないようになる。罪のない子供達が、むごい犠牲者となっている。

 久しぶりに、カナダに休暇で帰還した兵士は、まだ赤ちゃんの息子に言う。

 「幼いときには、大切なものが沢山あった。おもちゃが大事だった。希望は一杯だった。 だが、大きくなると、だんだん少なくなって、そういうものはどうでも良くなる。今では、一つか、二つ。いや一つだけになっている。」

彼は再び、どこかの勤務地に、爆弾処理をしに赴任していく。

つまり、彼に取って、大切なものは、ただ一つ「命」だということなのだろう。

爆弾を処理するという、危険を伴い、つねに死と隣り合わせの仕事を黙々とやり遂げる、その任務は、「人間の命」を守る為、この世で大切なものは、「命」なのだ、と、この映画は訴えている。