特効薬

  春の匂い、空豆

腰は長引きそうだ。

整形の医者に、この痛みはおさまるでしょうかと

聞いたら、そのうちに、と言われた。

そういわれると、安心する。

医者通いも楽ではない。第一費用が馬鹿にならない。

医者に行く決心がつくまでがなかなかだ。

そのうちに、治ってくるのではないか、と自分流に判断する。

昨日よりも、今日、悪くなると、我慢出来なくなり、結局は

医者に頼らざるを得ない。

自然のままに、医者に行ったことがない、という人は、

よほど修行の出来た人で、達観した人か、それとも

図太い神経の持ち主で、元来丈夫な人に違いない。

病は気から、というのは、本当だろう。

病と気とは、巧妙にからみあっている。

私のように、小心者にして、神経のきつい人間は、

病をこじらせて、医者に行き、

費用もだらだらと払い、医者の「大丈夫です。良くなりますよ。」

との太鼓判を押してもらうか、なんとなく、お金も時間も、面倒になって行かなくなったら

治っている。

私の神経は、長続きしない。いいかげん苦しむと、放棄して投げだして

しまうという、いい加減さに支えられて、大病に至らずに、やってきた。

ようするに、飽きっぽいのである。

病気に付き合っていると、飽きが来る。秋風が吹くころ、病気は、どこかに

吹き飛んで、身体の中から消えていく。

真面目で律義な人だと、こうはいかない。

一生懸命、なればなるほど、治らない場合もあるだろう。

神経の疲れ、悩みごとを真剣に考える余り、鬱病になる。何年も鬱から

出られない。鬱と同棲するようになる、など。

膠原病や、関節リウマチなど、慢性疾患を患っている人に、真面目で、心の変わらない人が

多いのではないかな、と私は勝手に思っている。

病気と心(気)とは、絡み合っている。

いいかげんで無責任さ、といのも、病気の特効薬なのだ。