小沢主義は、日本では理想主義

 

長崎知事選挙は、自民党公明党推薦の候補が勝った。町田市長選の民主党は惨敗。民主党に風は吹かなかった。

 政治と金の問題で追求した、自民党は、鬼の首を取ったとばかりに、これからもそれでやっていこうと意気込んでいる。

  これで、また、国会は、お金の話で、国民の嫉妬心をあおる。悪いやつだと、叩きにかかる。

 「小沢主義」という小沢さん直筆の本が、文庫本になって、出ている。私はこの本を読んで、小沢さんの理想主義は、小沢さん自身が懸念しているように、実現出来ないだろうと感じた。

 「国民以上の政治家は出ない。」 まさにそうである。

国民が選挙で選んだ、政治家が、政治をするのだから、結果は、国民に帰ってくる。

国民が、その責務をおうことになる。それが民主主義なのだ。

 日本では、真の民主主義は、確立出来ないのでは、という小沢さんの懸念は当たっている。 日本人の特徴として、「他力本願」があげられる。

 自分達が納めている税金で、国が御上がなんとかしてくれる、という観念が根付いている。官僚が、国民に利益を分配してくれれば、不公平がなくて、平等だ、という考えだ。  その平等主義は、他人が持っているものを、自分もほしがる嫉妬心をあおる。

 日本中が国民的にブランド志向に走った。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、から車に、マイホームまで、隣の芝生が青く見え、まで、平等主義の嫉妬心。

 最近では「世界に一つの花」が大ブームになった。そうとはいかない現実、それでは満足出来ない。だからブームになる。

 自己責任、という考え方は、日本では育たない。自由主義は、自分勝手主義として導入され、自由に伴うはずの「自己責任」は「他力本願」なのだ。

 選んだ政党、政治家が、即効性の利益をもたらしてくれないと、「しまった、とんでもないものを選んでしまった。」と言って、他に責任政党、政治家を捜し始める。

 今回の、長崎知事選挙も、まさにそのような、結果になった。

早々と、見限り現象が始まっている。

官僚は笑い、自民党は、返り咲きの可能性が出てきたというので、勢いずいている。

 付けは、必ず、国民が背負うことになる。

 国民レベル以上の政治家はいない。政治家の顔は、国民の顔、すなわち自分の顔なのである。