森繁久弥さんを偲ぶ

 

 昨夜、NHKで、「森繁久弥さんを偲ぶ」特別番組が放映された。生前親しかった、3人のゲストのエピソードなどを挟みながら、映画、テレビ、舞台での、森繁久弥の足跡、そして最後は、ラジオでの人生を、ビデオや、写真、交友関係者のメッセージを入れて、放送された。

 3歳から、晩年まで親しかった中村メイコが、「ひばりと森繁久弥のオーラはすごかった。とても近づけないものがあった。」と涙ぐみながら、2人ガ、歌番組で、笑っている姿を観て、涙ぐんでいた。

「人生は、ジョークだよ。」と森繁さんは言っていた。「一日を燃焼させる。そうすれば、新しい飛躍がある。」一日、が一生という覚悟で、命を使い切り、燃えつくす、その繰り返しが、森繁久弥さんの生涯だった。

お金には、全く執着がなかった。人を集め、御馳走することが、大好きで、御自分は殆ど食べないで、人々の喜ぶ顔を見て喜び、笑いを誘う、ジョークや面白い話を提供することが、好きだった。

「人が好きだから、人といると疲れる。そんな時に、海に行く。」海が大好きで、ヨットも持っていた。大海原に出て、果てしない水平線を、目指して、風を受けて、進む。太陽の照り返しで、キラキラと揺れる無数の輝き。一人、海に抱かれ、一人、全てのものから解放され、そして、其の行く末に、自らの死を予感し、対自する。 

森繁さんは、本当に、孤独で、寂しい心を秘めた人だった、と私は改めて、そう感じた。

「言葉は歌うように、歌は語るように。」どちらも、心に、直接響くものでなければいけない、ということ。心に語りかけ、心を動かし、聞く人のイマジネーションを最大限に引き出すものででなければならない。古代ギリシャの演劇は、劇場型の市民参加劇だった。言葉は歌うように、ロゴスと呼ばれる合唱は、語るように歌われた。日本の歌舞伎、や、浄瑠璃もそう。歌舞伎は、河原乞食から発祥し、大衆を喜ばせる為のものだった。誰にでもわかりやすく、大衆と一体になって、大衆も、演ずる役者も、浮世の苦しみや、辛さを忘れて、(幸せ)に誘われる。

森繁さんは、せりふを覚えないで、スタジオ入りした。

 「せりふを持って行くのか?役を持っていくのか?」と一緒に飲んでいた人が問われた。

森繁さんが、ラジオに生まれ、ラジオを生涯のライフワークとして大切にしたのは、「歌いように、言葉を、聞く人の心に、届け」最もイマジネーションを、聞く人から引き出す方法だから。

 歌を歌うことが好きだった、森繁さん、集まれば、皆で歌う。アウシュヴィッツのユダヤ人収容者達は、恐怖心から逃れる為に、皆で歌を歌った。

[コルチャック]という演劇に中で、加藤剛扮するコルチャック先生が、子供達に歌を歌わせながら、自分も共に、ガス室に行く最後のシーンで、先生は言う。

(子供達は、希望の中で死んでいくのです。明日には、新しい、楽しい生活が生まれるのです。飢餓も、苦しみもない、子供達は、明るく歌い、)

燃焼させることで、新しい生活が始まる。

歌を歌うこと、それは、笑うことと、共通している。幸せを共有し、燃焼させる時間。