人間の尊厳とは?

 

母に会いに行った。一階に、社長がいて、「お風邪いかがでした?」と例の猫なで声で。

「風邪ではなかったのです。季節性のアレルギーによる気管支ぜんそくでした。」

面会ノートと、体調チェックに、書き込み、うがいをすませ、エレベーターが下りて来るのを無言で待った。

4階の上がると、母の姿が見えない。

「部屋です。」とヘルパーさん。

新しい入居者がいる。沢山着こんで、窓際のテーブルに座っている。社長が仕事をしている場所に。

母の部屋に入ると、母は寝ていたのか、顔が腫れている。リウマチが出ているのでは?と心配になる。

「やっと来てくれたのね。久しぶりに。」と不安そうな母を、思わず抱きしめて、母の小さな身体を包み込む。

母の手が冷たかった。

窓際に、ポータブルトイレの椅子をテーブルの前に置いて、窓越しに見える、公園を日がな眺めているようだ。

「753に行こうと思ったけど、今日は行けなかったわ。」753というのは、公園で遊んで行く子供達を見に行くと言う

意味だろうか。「電線に、沢山カラスが止まっている、カラスは仲が良いのよ。」と言うので、見ると、すずめだった。向こうの方に

1羽、大きなカラスが止まっていた。

[お母さん、あれ、すずめよ。カラスは、向こうの電線に止まっているわ。]

そうね、と言ってあげれば良いのに、私は否定する。母に取っては、すずめでも、カラスでも変わらないのに。仲が良い、ということが

重要なのだ。

母は日曜に訪ねた時と、同じ服装をしている。今日は元気がない。お化粧もしていない。お風呂に入れてもらっていないようだ。寒くなると、

母は、お風呂に入ることを、かたくなに拒んでいるのかもしれない。

実際、リビングも寒々しく、他の人達は、着こんでいる。箪笥の中には、まだ冬物を入れていなかった。

ユニクロで、温かそうなの買ってくるわね。」と言うと、母は、決まって、

「もうそろそろ家に帰ろうと思うから、持って来なくて良いわ。」と言う。

箪笥の中に、私が病院に持って行った、可愛らしい花柄のコップと、もうひとつ、これも花柄のマグコップが入っている。

「お母さん、これキッチンに持って行かないと。」と言うと、ヘルパーさんが入って来て、

「お母さん、しまい込んでいるので、キッチンにコップがないのです。」と言う。

母は、「こんなコップは何処に行ってもないのよ。」と渡そうとしない。コップの中が汚れているので、それを持って「キッチンに洗いに行くわね。」と言って、キッチンで洗っていると、ヘルパーさんが、もうひとつのマグを持ってきた。ついてきた母は、少しいらだっている。

 「ほら、綺麗に洗えたわ。」と言って、母に手渡すと、「こんなコップ、どこを探してもないのよ。」と小走りに部屋に持ち帰る。憤慨しているのが、後ろ姿にあらわれている。

ヘルパーさんに「ごめんなさいね。あんな風に、良く言うのですか?」というと、「時々」と。

母は、大切なものが、無くなる、という被害妄想にかられているのか、それとも、他の人が母のコップを間違って飲んでいたりするのだろう。

母の部屋に、他の人のセーターが入っていたり、母の毛布を、他の人が使っていたりする現実を見ている。

あまり寒そうなので、温かいお茶をお願いして、マグにいれてもらった。

母の馴染みのもの、大切にしているものを使わせてあげたい、と思ったけれど、母の思い入れのないものの方が良さそうだ。

 新しいものを買って、持って行こう。

新しく入居した老女の前に、若い女性が座って、携帯電話でやりとりしている。面会者かな、と思っていたが、そうではなさそうだ。

外に、真っ赤なスポーツカーが停まっていたが、今日も置いてある。社長の娘さんのものだと聞いていた。

 ヘルパーさんが、洗った布団の、毛布や、ベッドパッドなど、一式をたたんで、社長のお母さんの為に部屋だと言っていた部屋に運び入れている。

その入居者は、社長のお母さんだった。見れば、確かに、顔が良く似ている。若い女性も、社長にそっくりだ。

おばあちゃんと、孫娘だった。老女は、毛糸の分厚いものを着こんでいた。 

 男の人達は、全員が車椅子。以前は話をしていたのに、全く無言で、首をだらりと垂れた状態でいる。時間が来て、ヘルパーさんが、順にトイレに連れて行く。トイレ一つとっても、時間が相当かかるし、体力も要求される。

 問題の老人が、車椅子で、部屋から出てくると、母は「意地が悪いから、大嫌い。」と。怯えている女性は、どこかに身を隠れるように。其の老人は、部屋で寝ていることが多い。

 やはり、このような状況が、日常茶飯事なのだとしたら、気が滅入るばかりだろう。誰も、黙りこくったまま、座っているだけだ。

 母は、家に帰りたがっている。死ぬまでに、整理しておきたいと言う。

人間、誰しも、自分で思うようにいかなくなる時が来る。グループホームにいれば、食事の管理、薬の管理、など、母が一人では出来ない管理が出来ているから、身体にはよい。母に新しい家族が出来たと思っていたが、そうではなさそうだ。ばらばらで孤立している。

昔の老人達は、どうしていたのだろう。呆けるのは、年を取れば、大なり、小なりはあっても同じ運命共同体だ。

 何とか、生きて来たのだと思う。そうさせてあげるほうが、良いのでは?とも。

出来ない、と頭から決めつけずに、ヘルパーを活用して、自立した生活を最後まで、全うさせてあげることのほうが、幸せなのでは?

 社長のように、母親を、グループホームの職員と、家族で世話していければ、それが一番だろう。一挙両得とは、まさに。

 母のマンションで、同じ階に売り物が出ている。そこを買えば、母が生活するのを、そばで見ていられるのではないだろうか、と思うが、お金がない。

駅前の便利な場所なので、すぐに売れる。