気管支ぜんそく

 

1年ほど前から、咳込むと、気管支がゴーという音を立てるようになった。咳込むと、苦しくて、このまま死んでしまうのではないか、と懸念さえしてしまう。紙に血がつくこともある。肺がんではないだろうか。それとも、震災後、バスの中から、解体工事のアスベストを吸ったのが原因だろうか。9月に肺のレントゲン検査を受けて、肺がんではないという診断だった。

 くしゃみが何度も出て、鼻水がとめどなく出て、その後、風邪をひいてると医者が言い、風邪薬を1週間飲んだ。3日間は昏々と眠り、ぎっくり腰も、和らいでいたが、薬をやめると、また腰が痛みだした。

 誘われて、若狭に出かけ、久しぶりに、シャワーではなくお風呂に入ると、咳がひどくなった。朝、ミストサウナに入ると、気管支が楽になるような気がした。緑の中の新鮮な空気を吸っていると、咳は出ない。

 翌日は、小浜の海水浴場の前にある旅館に泊まった。以前に泊まって、すっかり気に入った、風情のある宿だった。今回は海の見える本館に、と期待して行くと、道路側の部屋になっていた。案内してくれた女性に、[アルバイトだから、宿の主人が来ないと、変えられるかどうかわからない、]と言われ、キャンセルしても良いかと聞くと、「電話で主人に聞いてみます。」と電話をしてくれた。名前を告げると、部屋を変えてくれることになった。

 

    食べ過ぎ

 炭火焼コースを依頼していた。前回は、食堂での食事だったので、炭火焼は当然、食堂で、だと思い込んでいたら、他の部屋の客は、部屋食の準備をしている。炭火焼も部屋食だった。沢山の魚が出た。部屋中に魚の匂いがしみついて、空気は淀み、夜中、咳がひどかった。発作が起こって、止まらなかった。せんべい布団で、腰が痛む。

 苦しくて、明け方、窓を開けて海風と共に運ばれている空気を、吸いこんでいると、楽になるような気がして、明けて行く空を、海を眺めていた。

 翌日、呼吸器が専門の医院に行くと、季節性のアレルギーで、気管支ぜんそくだと言われた。抗アレルギー剤、咳止め、吸入剤をもらった。

 母の面会に行くと、面会者に、熱がないか、咳がないか、喉の痛みはないか、のチェックを書かされる。咳があれば、面会出来ない。

インフルエンザの流行で、入居者の、外出は控えることにすると、社長が言っていた。従って、散歩に出ることなく、一日中部屋の中で暮らしている。私の咳が、治まってくれなければ、母に面会に行けない。

大雨の中、母のジュースがなくなっているので、買って、面会に行った。咳の所で、咳はない、と書き、4階に通してもらった。母はとても元気で、部屋の人達と3時のおやつを食べていた。

私が行かないので、どうしたのか心配していたのよ、と言う。先日、入居したばかりの老人は、あの時の元気さは消えて、すっかり意気消沈していいる。食べることがままならず、洋服にだらだらとこぼしながら、なんとか食べようと必死だ。何か下に落としたようだった。

 安部氏、羽賀寺の重要文化財、日本6美人観音の一つ。

母は、やさしく、其の老人に声をかける。「どこにあるのかしら。」下の方をかがんで探している。

食べ終わると、キッチンにお皿を下げてキッチンに持っていくことになっている。他の女性二人は、どこがキッチンなのか、どこに持って行くのかもわからないでいる。近くにある洗面器で洗いだす。母はしっかりしていて、キッチンに運ぶ。母について、他の女性もついていく。母は、他の人の食器も、綺麗に洗っている。流しの中を綺麗にして、いつもの母の清潔癖。

4階で、母が一番しっかりしている。母は常づね言っていたことを、このホームで実践しているようだ。

「かわいそうな人達がいる老人ホームに行って、お手伝いしてあげたい。お役に立ちたい。」と。

私は笑って、

「お母さんがお世話してもらわなくてはいけなくなるのに、それは無理よ。」

今、母は、自分よりも、手のかかる、わけのわからなくなっている、純真な子供たちのような同居人の、お世話を嬉々としてしているように、私には見えた。