新しい家族とホーム

 

ともあれ、4階の入居者は6人になった。女性3人、男性3人で、落ち着き始めている。 規則正しい生活と、節食のお陰で、リウマチの炎症は、正常になっている。血液検査では、完全な健康状態。他の入居者は、糖尿の人が多い。お金持ちの贅沢病が、ここにいると、落ち着いて、良くなるだろう。家で、世話することが負担になって、ここに入れているのだから、文句はないのだろう。

 4階に入っている人達は、それなりに、生き甲斐を持って生きて来た人達ばかり。昔取った杵柄を持っている。子供心に戻って、とても良い人ばかりで、母も仲良くしている。川口湖の富士山が見える別荘に毎年、3ヶ月滞在していたという91歳の老人は、カメラが得意だった。 芸術家風の盲目の老人は、京都友禅の絵師だった。始終歌を歌っている。母と仲の良い女性は、大柄だけど、優しくて、母の方が、リードしている。睡眠薬を飲まされて、寝てばかりいた女性も、昼間、一緒に起きているようになっている。笑顔が可愛行く手、人なつっこく、甘えたさん。 我がままで手こずった老人も、おとなしくなり、登山が趣味のようで、世界中の山のバッチをつけた、オシャレな登山帽をかぶって、部屋からお出ましだ。

 社長が言うよいに、私が行かない方が、母は穏やかで落ち着くのかもしれない、とも思っている。どこかに連れて行ってあげたいとか、美味しい物を食べさせてあげたい、と思っても、そういうことは、私達の願いで、認知症の老人達は望んでいないのかもしれない。 自分の家で、変わらない生活、気を遣わない生活をしながら、一人ではなく、共にいる生活、話は合わなくても、一方通行でも、話あえる生活、一緒に食事をする生活、

 それで、十分なのかもしれない。恵まれた裕福な家庭にいても、孤独だったかもしれない。我が儘で、体調を悪くしていたり、思い通りにならなくて、わめいたり。

 そういう人も、あきらめにも似た、慣れと共に、新しい穏やかな時間が生まれる。

 家族は忘れられ、新しい家族の中で、共に生きていくことで、穏やかな、安定が生まれる。

 この施設で、日常の生活が出来るように、家政婦の役目と介護の居る人には介護援助してもらうこと、それがこの施設の役割であって、そこに暮らす人達が新しい家族として暮らす。それがグループホームなのだ。

  母の元気な顔を見に行くくらいで、私がしてあげられることはない、ということなのだ。