居座る患者

 

 昼食の時間、談話室のテーブルに座っているはずの患者さん達が、一人もいない。母と私だけ。台風の影響で、肌寒いから病室からでたくないのかしら。

 

 テーブルにかけられていた、ギンガムチェックのテーブルクロスはなくなっている。かわいらしい声で、老人の世話をしている看護婦長さんの姿が見えない。雨で外は薄暗いので、一層陰気で冷たい感じがする。

 「鼻に酸素チューブをしたお婆さん、今日退院されたそうですよ。」並びの部屋の奥さんが教えてくれた。

 「あんな状態で、家に帰されてどうするの。」と心配する。

 「赤い靴を履いた男の人がいるでしょ。あんなに元気なのに、随分長くいるらしい。病院の相談員が何度も来て、説得しているようだけど。不公平だわ。」

 私も不思議だと思っている。全く見た目には、病人らしくない。元気な人で、廊下を闊歩して、中庭でたばこを吸い、公衆電話の前に座り込み、電話をよくかけている。

 談話室で、患者と母親なのか、姉さんなのかわからないが、相談員と話しているのを何度も見ている。中庭で、娘さんか、患者の奥さんかわからないが、ものすごい剣幕で二人を前にまくし立てているのも、何度か見ている。患者は煙草をふかして、黙っている。困り果てたような年のいった女性の悲痛な顔。

 母が入院した時に、病院のパジャマ姿ではあるが、およそ病人らしからぬと思っていた。赤いスリッパのような靴が目立つので、人目を引いていた。相談員と何度もやりとりしている姿も目立つ。

 病院としては、退院か、その後の受け皿を相談していても、患者が退院に同意しなければ、居座れるということなのだろうか。

 

 ひどい状態の患者さんでも、3カ月が限度だから、泣く泣く退院して行く。今日、退院して行った、お婆さんも、車椅子と酸素吸入が必要で、ヘルペスで頭も顔も傷らけ。他の受け皿を探して出て行かれたのか、それともけなげに付き添っている、善良で年老いたご主人が家に連れて帰られたのだろうか。

 病院は、強制的に退院させることはできない。身体の不調を訴え、クレームをつけている限り、その患者を追い出すわけにはいかない。「シッコ」というドキュメンタリー映画では、医療費が払えない患者を、タクシーに乗せ、路上に捨てる大病院の現状を映していたが、日本は、それほど金権主義ではない。

 病院の経営が、危機に陥る原因の一端を目の当たりにしているような気がする。