意地の悪い付添婦

 

 今朝、病院に行くと、母はすでに一人で食事をしていた。体の痛みがない。ベッドに座って元気そうだ。顔色も良い。昨日半分食べてもらった、果物のゼリーがテーブルにのせてある。昨日、買ってきて飲ませた、ジュースの残りも飲んだようだ。冷蔵庫の整理をして、残っているものから食べようと思ったのだろう。ミルクは飲んでいないので、カルシウムがあるから、と飲んでもらい、食パンは全部残っているが、果物ゼリーと、副食の野菜と食後の果物と合わせれば、十分だろう。

 看護士さんが、母を良く見てくださっていた。人によって随分違う。夜早い目に寝たので、朝早くから、起きていたらしい。今朝は痛がらない。夜中、2度トイレに行くのに、痛いと言っていたという。抗生物質が効いて来たのか、その日の体調で変わるのだろうか。それでも膝はだめで、

今朝は、トイレに行くのに、立てても、すぐに座ってしまう。

「だめだわ。歩けないわ。いよいよ弱ってしまったわ。寝た切りになったら、迷惑をかけるから、老人ホームに行こうかと考えている。」

と言い、「老人ホームも入れてもらえないわ。一杯待っている人がいるから、無理だわ、と言う。以前は、

「ホームには、かわいそうな人が一杯だから、私がお手伝いしてあげようと思う。」と言っていたのに、

「こんな風だったら、老人ホームに入れられるわ。」と身の心配をするようになり、そうかと思えば、

「お金持ちの人が一杯、入っていて、皆、にぎやかに楽しくしているらしいわ。」と言ったり、今朝は

「なかなか入られないらしいわ。待っている人が一杯らしい。」と言う。

 母は老人ホームに入りたくない、という気持ちが強い。さりとて、寝たきりになって、迷惑はかけたくない。だから、なんとか踏ん張って、

自分でなんとかしなくては、自分の事は自分で出来ないとだめだ、という信念も強い。パンツの上げおろし、立ち上がる時も、起き上がる時も、手助けしてもらわない。手を出せば、断固として拒む。

弟や、お嫁さんが、病院に世話をするつもりで来てくれるのに、気の毒がって、すぐに、帰ってもらおうとする。忙しいのに、疲れているのに、と妹夫婦には、「遠いところを忙しいのに、わざわざ来てくれて申し訳ない。」と気を遣う。「ハンドバッグはどこに置いたかしら。」

持って来なかったのよ、と言っても信用しない。探し回る。その中に財布を探している。おこずかいをあげたい。車を使って、ガソリンもかかるだろう。生活が大変なのに、と。持って帰ってもらうものはないか、おみやげに出来るものはないかと、冷蔵庫の中、棚の上を探し、紙袋に入れて持ち帰ってもらおうとする。持ってきてくれたものも、お土産になる。私が帰る時にも、いつも。「帰るのだったら、少しでもあげるから、何か美味しいものでも買って帰って。」とハンドバッグを探し始める。

「退院したら、沢山もらうから。」と私は言って帰ってくる。

昨日の朝、母は、泣いた。

「もう、来てもらわなくても良いから。」と。

朝、毎朝、母に食事を食べてもらうまでがひと苦労なのだが、その日もまた食べようとしない。頑として拒絶する。「捨てるわよ。」と脅しても聞かない。ほしくないのだから、食べられない、と言う。いじわるな顔して、と言う。

毎朝、早くから来る私の身にもなってよ、とつい言いたくなってしまった。私だって、忙しいんだから、と言ってしまった。母は、牛乳を飲みながら、ポテトサラダを食べさせ、バナナをなんとか、寝たままで食べ終わった。次にパンが残っているのだが、食べられない。

食べてもらう間に、何度同じ事を繰り返す事か。母は、

「あなたが食べて。私は食べられないから。」

「これはお母さんの為の食事なのよ。私は食べて来たから、お腹が一杯。」

「置いておいたら、誰かが食べてくれるから。」

この繰り返しで、寝不足を押して、やってくる私は、だんだん声が苛立ってくる。

「何の為に来ているのよ。食べて元気になりたくないのなら、来る意味がないじゃないの。私も疲れているのよ。」

母は、感情が高ぶって、涙が溢れた。しまった、と思ったが,あとの祭り。

「忙しいのに来てもらって、もうこれからはいりませんから。一人でなんとかするから。お手伝いさんを頼むから」

そこに、看護婦長さんが入ってきた。

「朝は、ミルクを飲んで、お薬を飲めば、それでも良いですよ。その代り、お昼と夜をしっかり食べて、水分を沢山取ってもらえば。」

それを聞いて、随分楽になった。食べられないと、また3時間に及ぶ点滴で栄養の補給をしなければならない。

 病院にまかせておけばよい、というのであれば、母は自ら、水分を取り、食べる事を心がけようとはしない。その時、そう思っても、すぐに忘れる。病院にいることさえ、忘れている。早く、ここから出たいと思い、出ても仕方がない、と思い、帰っても迷惑かけるだろうと思い、老人ホームに入るのはいやだと思い、迷惑をかけないように、行ったほうが良いだろう、と思い、寝ている以外は、歌を歌い、母を可愛がってくれた沖縄の渡嘉敷先生に会って、沖縄で死ねば誰にも迷惑はかからないだろうと思い、死んだら、お葬式を出してもらえば、皆が迷惑するだろうと思い、あれこれ、常に考えを巡らせ、苦しんでいる。

そんなに、心が辛い人に、私は、なんてひどいことを言ってしまったのか、そのことが頭を離れない。

夕方、弟のお嫁さんが、夕食に付き添う為に来てくれた。私が、彼女に写真をみてもらっている間に、母は一人で食事を始めた。

最後まで残す、味噌汁と豆腐だけ食べて、美味しそうな魚に手をつけていない。

お嫁さんに持って帰ってもらおうと思って、取ってある。これから夕食の支度をする、というのを聞いているので、足しになれば、と思っている。弟の家では、お魚料理はほとんどしないらしい。お肉料理がメインだとか。

「お母さんが食べないとだめなのよ。」お箸でお魚を崩して、食べてもらうが、母は少ししか食べなかった

夕食が終わり、帰る時間になると、母は、

「今夜は泊まるでしょ?ここで寝られるから、泊まったら。暗くなるとあぶないから。」

母は、泊まってほしいのだ、とわかっている。

コナミに行くから」と断って、私は帰る。