高齢者医療の貧しさと、莫大な負担金

 

 肺のCT検査で、肺に異常がみつかった。抗生物質を再び投与することになった。

金曜日に、炎症にあまり変化がみられないからとストップしていたが、今日の血液検査では、炎症が高くなっているので、抗生物質は効いていたのだと、医者は言う。

「炎症の原因が見つかったので、これからは抗生物質を朝夕2回、強力に投与します。」と医者は、こともなげに言う。

 金曜日までは、内臓に異常が見つからないので、整形の疑似痛風でしょう、と言っていた。血液検査や、レントゲンではみつからなかったが、CTによって判明した、という。 朝のCT検査の用紙には、朝から絶食と書いていたが、看護婦がその箇所を消すのを忘れていた。朝、部屋に来た若い医者が、肺のCTは食事をしてもよいはずなので、確かめて来ますと。 いいかげんな話で、間違いも多い。トップの医者も頼りなさそう。検査だけに頼っている感じがする、それほど難しい判断が要求される病気なのだろうか。

 母の夕食をすませて、今日はまだ明るい内に、病室を出た。暗くなると母が心配するので、7時を回った頃だった。エレベーターで一緒になった人も、付き添いに来ていて、お互いに「疲れますね。」という挨拶で話が始まった。

 やはりお母さんの看病で来られている。朝8時に、朝食を食べさせる時間から来て、夕食が終わってから帰るとのこと。同様だ。その人の母親(姑さんかも)は私の母よりも若い。83歳だという。肺炎で入院して、1ヶ月になるらしい。病状は安定しているが、酸素マスクと尿の袋をつけたままで、肺に水が溜まっているらしい。認知もあって、帰ってから、ずっと、夜中も大声で呼び続けているとらしい。母のように、おとなしく、気を遣いすぎるのとは正反対だけど、それだけ辛いのだろう。

 この病院は、1ヶ月で出ないといけないので、病院から次の受け入れ先の病院を幾つか検討するようにパンフレットをもらっているという。その人自身も50という病院を検討して、随分詳しくなったと言われる。次に入れる病院が併設している、介護病院は、月に50万円の負担金がかかる。だいたいどこも同じ程度で、それも3ヶ月が限度。

費用のかからないグレードの低い所は、まともに治療に取り組むのではなく、次から次に、待っているので、「死んでください。」というようなものだ、と言われる。ベッドの空きが何年後になる所も多い。民間の、まともに扱ってくれる所なら50万かかるらしい。

その人は、家で看るほうが、同じお金がかかっても、その方が、血の通った治療が出きるので、家に連れて帰ろうと思っている。

 家族があっても、自分達の生活が大事だから、と放置している人達もいる。いったい、50万円も負担が出来る、家庭がどれだけあるというのだろう。死んでいくしかない、という現状のようだ。

 家族が負担できる、お金で入れる病院は、あまりにも少なく、介護治療の必要な高齢者は、年々増え続けている。

 家族としては、なんとか助けてほしい、少しでも長生きしてほしい、と願う。そこにつけこんで、多額の費用を要求するのか、それとも、今の高度医療が、それだけかかるからか、金権至上主義による、格差社会の恐ろしさを、ここでも見る思いがする。