孤独死

朝は、体中が痛い。病院に行かなくても良いので、気ががたっと緩んだのか、喉もおかしい。

 母よりもずっと年老いた、車椅子の患者さんが、いつも談話室で食事をしていた。ご飯を運んで、と詰所に向かって

言っているが、人手が少ないのか、待たされている。いつもは部屋まで食事を運んで来るが、私も母の食事を部屋に運んだ。

 帰り際、詰所に行き、まだ赤外線のスイッチをいれていないことを告げ、あとを頼んだ。どこかで、誰かの話す声が聞こえている

けれど、見当たらなかった。駐車場に行ってから、母は夕食に食べた量を書き込むことを忘れたことを思い出し、引き返す。部屋の入ると、

母は戸口の洗面台の前に立っていて、歯を磨いている。「ああ、びっくりした。」と母。

夕食後、一緒に歯を磨いていたのに、私の歯ブラシを持って、熱心に磨いていた。紙が新しくなっているので、詰所に行き、母の分量が10割であることを告げた。すると、声の主は、談話室で、食事をお願いと叫んでいた、患者さんであることがわかった。詰所の中に、入れてもらっていた。看護婦さんが、要求が煩いので、詰所に置いているのだろう。部屋に何度も呼び出される患者さんだから、詰所のそばのテーブルで食事をしてもらい、夜は詰所に座らせているのだろう。一人で動けない患者や、上を向いて、口を大きく開けたまま、意識はあるのだろうか見た目には判断できない老人が車椅子で運ばれて行くのを見ると、家族が付き添っている様子はない。

 見放された患者もいれば、隣の病室には、毎日、家族が来ている。扉は開けたままになっていて、重症患者のようで、昼間奥さんらしい老女がソファーに座っている。息子夫婦だろうか、昼間毎日やってくる。

 外来では、年老いた奥さんが、ご主人を支えながら、鈍い歩みをたどって、診察室にたどりつく姿を見て、母は「可愛そうね。」と涙ぐむ。

エレベーターから、寝台に乗せられて出てくる老人、どの光景も、気分が滅入る。私がそうなのだから、母はなおさらだろう。

「病気だけはしないようにしないと」と母は言う。点滴で、腕は所々、紫色の地図のようになっている。

母が悲しみのあまり、認知症の原因になった、母の妹の死は、日曜日の朝、朝刊を開いて、見る番組に丸をつけたまま、咳きこんでの窒息死だった。前日まで、母に電話して、母をおもしろがらせていた。ヒョウキンでお茶目さん、母が病院に行く事を勧めても、行こうとはしなかった。売薬に頼っていた。病院に行って、もし悪ければ、入院させられる。お金もかかるし、家族に負担をかけることになる、という考えから。

 それでも、とうとう我慢が出来ないほどになっただろう、母がお金の心配はしなくて良いから、病院に、と言うと、「どうにもしんどいから、行くわ。」と言っていた。それからまもなくのことだった。娘さんが、毎日電話で話をしていたので、その日のうちに、息子が母親の死を確認することが出来たが、家族のいない人、関係の薄くなった家族との関係の中で、知らずに放置されてる孤独死が増えている。

 病院では、少なくとも、孤独死ではない。家族が放棄したような老人でも、お世話してくれる介護者がいる。見守られて、世話をしてもらえる安心感がある。一生懸命、世話をしている看護婦さんや、看護士さんたちを頼りにしている。