主なきアトリエ

 

 日本にいると日常に追われて考える時間がないが、異国のアパートに一人いると、走馬燈のように、吉田さんとの思い出の数々が浮かんでくる。初めも終わりもなく、断片で浮かんでくる記憶を、書き始めたら、巻紙に綴るように、長くなる。疲れて、それを途中で置き、眠る。夜中、再び書き始めて、また疲れ、昨日買った、ミルフィーユをコーヒーと一緒に食べた。まだ空は明けていない、5時。

 昨日の葬儀で、横にいた女性が、あとの予定がないのなら、散歩に、と誘われて、篠原さんと肝心の話をしていなかった。吉田さんと親しかった夫妻は、吉田さんのアパートの整理作業を初めて、吉田さんの遺した、オブジョの整理をされていると聞いていた。数えて、千点はある、とか。昨日娘さんには、お手伝い出来ることがあれば、とお願いしていた。今回は、吉田さんの為にだけ来たので、何か、お役に立てればと思っていた。吉田さんのお宅に電話して、昨日のお礼と、の電話番号をお聞きしようと思った。火曜日まで宿泊している方が出て、

 吉田さんのアパートに、遺族の人達、パリの生活で親しく世話されていた人達の笑い声がバックむミュージクのようの聞こえていた。

 すぐに娘さんに変わられた。伝えると、東京からまた連絡します、と言われ、整理に携わっている方の電話番号を教えてほしいと頼むとい聞くと、「勿論です。」と言われて、そのご主人が電話に。お礼を言いと、、昨日話した奥さんに変わられた 。お二人とは以前に吉田さんとご一緒にお会いして、食事をしたことがある。サンルイのグラスもその方の目利きで買うことが出来た。

 手伝いがあるなら、とお願いし、彼女は「当事者ではないので、聞いてなんかあればお願いします。」と言われた。

多分、私が手伝えることはないだろう。葬儀の席でも、娘さんに、何でも手伝いますから、とは言っていた。吉田さんなら、「来るか」と言われるけれど、アパートを訪ねる事は出来ない。

 吉田さんの為に、私が出来ることは、パリではもうなにもない、と思った。

吉田さんと、吉田さんのアトリエとは、私の中で切り離すことが出来ない。電話をすると、すぐに「来るか?」と言われる。私が遅れていくと、かなり苛立って、窓から覗いていたりされる。扉を明けて、「あそいやないか。なにかあったらと心配する。」

 晩年は、すっかり温厚になられ、気が長くなった。痩せられて、声の力が衰え、寂しい生活をされていた。千点に及ぶオブジエがそれを物語っている。

「訪ねて来る人、近づいて来る人も沢山いたが、離れていく人、疎遠になる人も。」多いと言う言葉は使われなかったけれど。

 台所の食器、焼きのはいったフライパン、お風呂場に洗ったジーパンがかけてあり、

痔の薬が置いてある。トイレの流し方にはコツがいる。リビングにはスペースがないほど、オブジェや切り絵、飾り物に溢れていた。アトリエで一緒に絵を見たり、オブジエを見せてもらったり、今は思い出だけが存在している。

 アパートで賑やかに談笑する声が響いている。そこに吉田さんはいない。