お嫁さんですか

 

西宮ガーデン

最近、母といると、「お嫁さんですか」と良く聞かれる。母と似ていないのだろうか、とぐらいにしか、頭になかった。

 今日は、松竹座で上演中の、「寿初春歌舞伎」昼の部に、母のお供で。その帰り道、母はいつものように、近くにある「茜屋」というおかき屋さんで、立ち止まり、おみやげに、と言って、好みのおかきを選んで買った。店の人が「お嫁さんですか?」と聞くので、「親子です。」と答えると、「いいですね。親子で。」と言葉が帰って来た。

 次に行った店でも、「お嫁さんですか?」と聞かれた。同じように、親子です、と返事をすると、「譲り合って、遠慮しておられるから、お嫁さんかと思いました。」と言われた。デイセンターに、いつも同じ服では、と私が服を勧め、母は、「私は、着るものが一杯あるから、あなたが着たら?あなたに買ってあげる。」と言い、「私はいらないのよ。お母さんに良く似合ってる。」といつもこの調子で、お互いが、いらない、いらないと譲り合っているからだった。おかきの店でもそう。母は私に買ってあげるというが、、「私はいいから。」と断っていた。店の人の身になれば、少しでも沢山買ってくれた方が良いに決まってるから、これは義理の仲で、遠慮しているのだろうと思ったのだろう。レストランに入ると、私は、母が食べたいものと思い、母は、私に合わせようという意識が働くので、注文を聞きに来る人が、「じゅ、又後で聞きに来ます。」と言ってくれることが多い。

 母と私が決定的に違う点がある。母は私よりもずっと謙虚なのだ。私は息子に、自分の事をつい「お母さんが、」と言ってししまう。

母は決して、「お母さんは」なんて偉そうな言い方はしない。常に「私は」だ。

見習わなくては、と思いつつ、つい「お母さんは」が出てしまう。

 

 私と息子もまたお互いに遠慮して譲り合う、レストラン。今日は、どこ、明日はどこ、と言う風に会社帰りに待ち合わせをして食べに行く。息子は、母親がせっかく来たのだから、美味しい物、喜ぶ物を食べさせたいと思う。私は、彼が普段は、そう外食も出来ないだろうから、息子が食べたいものを、と互いを気遣う。それなのに、出来の悪い私は「余り美味しくなかったわね。」などと言って息子の気を悪くすることがある。母も息子も、決してそんなことは言わない。「美味しかった」としか言わない。 何かをすれば、必ず「ありがとう」という言葉が付随する。私も息子に見習って、「ありがとう」と言わなければ、と思うのに、心でそう思ってなければ、自然に出て来る言葉ではない。

 

赤塚不二男のお葬式で、森田さんが、「ありがとうという、他人行儀な言葉はいやで使わなかった。」と言っていた。

美輪明宏は、「親子の「付き合いについて、いくら親しくても、土足で踏み込むような関係はだめ。親しき仲にも礼儀あり。お互いの人格を尊重しあって、距離を置いて付き合わないとだめです。」と言っていた。

どちらの言い分にも、なるほどと説得力を感じるけれど、そういう事は、こうしようと思ってしているのではなさそう。そういう教育、育ちから来るものなのだろう。お嫁さん?と言われるように、母と私、との関係は、そういう距離があるのだろう。