誰がために鐘は鳴る

 1943年作品

 

宝塚ソリオホールで映画会が時々催される。母の元に届いた映画会の案内書に「誰がために鐘は鳴る」のちらしがあり、母は、カレンダーに印をつけて行くのを楽しみにしていたらしい。

 当日の朝、電話があり、起きるとすぐに、「今日は「誰がために鐘はなる」を見に行く 」と言っていますよ、とお嫁さんから。

最近、母に、映画に行こうと誘っても、「もう行く気がしなくなったわ。見てもすぐに忘れるから」と言うばかりなので、「ビデオがあるから、それを見てもらえば? ソリオホールの椅子が固くて、座っているとお尻が痛くて辛いのよ。」と一度っきりで、あの椅子に座るのは、懲り懲りだと思っていた。

 母がそれほど行きたいのならと、結局映画会にお供をする事になった。行ってみると、以前にはなかった座布団が敷いてある。苦情が出たのだろう。スクリーンは四角くて、映画館ほど大きな画面ではない。私がトイレに行っている間に、母は席を移動して、前の方に座っていた。

イタリアンプレート、スープ、プレート、デザートとコーヒー

 映画が始まると、劇場のように、手を叩き、「わーハンサム、クーパーは、ハンサムだわ。」と声を出して感嘆している。静かにという合図をして手で口を押さえると、周りに人がいるのに気が付いたようで、それ以来、沈黙して画面に見入っていた。お芝居だと、声が思うように聞こえないのか、必ず居眠りしているのに、きちんと座ったまま、腰も動かさないで、映画の画面に吸い込まれているようだった。

 私の方は、尾てい骨が痛くなってきて、向きを変えたりしながら見ていたのに、途中で居眠りしそうになった。前日夜中まで起きていたからだ。

ワシントンホテルのレストラン

 ヘミングウェイの小説を映画化した、あまりにも有名な名作、もうすでに何度も見ている。映画でも何度か、ビデオも買って持っている。なのに、段々とその中に引き込まれて、佳境に入っていく場面になると、涙ながらに、感極まって。最後の場面は、いつみても、また新たな感動に胸を打たれる。

 最近、涙を流さなくなっている母は、久しぶりに心を揺さぶられ、泣きながら、「ああ、本当に素晴らしかったえわね。」「クーパーは魅力的だわね。」何度も、その言葉を繰り返していた。

「映画が良いわ。大きな画面で見ると迫力が違うわね。また、どこかでするかしら。また見たいわ。」

「お尻が痛くなかった?」

「座布団引いてあったもの。全然痛くないわ。」

私は痛くて、と言うと、「貴方の方が私よりもずっと若いのに、身体が悪いから可愛そう。」なんて、気遣ってくれる。

この日の母は、随分元気で、頭も冴えている。母は共演のイングリッド、バーグマンのことは言わなかった。

「クーパーが素敵だ、素晴らしいわ。クーパーがハンサムだ、良かったわね。」

 「誰がために鐘は鳴る」は父が好きな映画でもあった。父は、イングリッド、バーグマンが素晴らしいと絶賛していた。彼女の作品の中で、一番魅力的な映画だと。父はゲーリークーパーも好きだったけれど、ジョンウェインのフアンだった。恋しながら女性に触れることもなく、去っていく男の中の男役が得意のジョンウェインと、マカロニうウェスタン時代から、父が亡くなるまでずっと、クリント、イーストウッドのフアンだった。

 

ゲーリークーパーもイングリッドバーグマンも、この世の人ではない。共演者の殆どが他界しているだろう。永遠のスター、と言われるのは、こういうスターの若き姿に銀幕の世界で会えるからだろう。母にとって、ゲーリー、クーパーはまだ現存している人なのだ。