母を通して思う

       あいも変わらず、有馬温泉に母のお供ででかけた。4日ほどまえに、「太閤の湯」に母を連れていったばかりだったので、母は、プリンセス有馬につくと、ホテルの窓から、「太閤の湯」の建物を眺めて、「良かったわね。」覚えている様子。ホテルは、有馬温泉の町を見下ろす高台にある。温泉街まで散歩するには、急な坂道なので、母の膝では無理。  森林浴をかねて、近くを散歩するだけだでも、小一時間くらいかかる。去年の12月から導入された、赤湯は、一段と色が深く、沈殿物が身体にまとわりつくくらいに濃くなっていた。心臓は、母の方がいたって丈夫で、長時間湯船に浸かっていても平気の様子。     お風呂に暖まり過ぎたのだろうか、食時が終わる頃に、母は突然気管支が詰まったと言って、咳き込んだ。大した事はなかったけれど、初めての事なので、おろおろしてしまった。今夜はワインも殆ど口にしなかった。好物のお肉が美味しくなかったようで、一口食べただけだった。  最近、気管支が変なのだと、母は言う。もう長くないかもしれないと弱気な事を言われると辛い。百才まで生きるような気がすると言われると、ほっとする。     人間はおしなべて皆、死ななくてはならないのだから、と自分に言い聞かせるものの、いつまでも生きていてほしいと願う。死ぬのはいやだわ、と言われると身体が痛み、心が冷える。湯船の中で、「上手に歌いたいのに、思うように歌えない。この歌が好きなのよ。」と機嫌良く歌う歌は「アカシアの雨に打たれて、このまま、死んでしまいたい。」 最後は「冷たくなった私をみつめてあの人は、涙を流してくれるでしょうか。」     つきあって、うなずいて聴いている私は、よけいに落ち込んでしまう。母を通して、自分の死を考えてしまう。願わくば、旅の果てに、人知れず仏陀のように、とかっこつけて友人に言ったら、「本当はメチャクチャわめいて大変だったんですって。」と友人が教えてくれた。若い頃は、雪山をどこまでも歩いて気を失いまで、とか、湖水の底に眠りたいとかロマンチックな死を想像していたが、死は遠くにあって、無縁だった。今も無縁かもしれない。死に直面する病にかかった人は違う。人生観がすっかり変わったと誰もが言う。 人は、死に直面して、初めて本当の生き方を考えるのかもしれない。本当に生き始めるのかもしれない。  母も私も、死の漠然とした恐怖を見つめているようだが、死の疑似体験をした人は、生きることをみつめている。生きることしか考えていないだろう。