日本名「大いなる陰謀」

  

 

 日本語の題名で、ピッタリなものもあれば、違うぞ原名は、と違和感を覚えるものも。ロバート、レッドフォードの久しぶりの監督作品なので、すでに観た人達の評はかんばしくなかったけれど、伊丹の映画館まで足を運んだ。

 原名は「Lions for Lams」羊を求める獅子、という題だ。

アメリカが、9,11のテロを受け震撼とした時には、誰もがイラク攻撃に賛同した。国も、マスコミも国民もこぞって。だが、あまりにも沢山の犠牲者を出し、イラクの治安は悪化したまま。ベトナム戦争のにの前で、再び同じあやまちを犯している。

 その犠牲者になっているのは、おとなしい羊達だ。一体誰の為に、羊達はかり出されて行くのか?

 裕福な家庭に育ち、年間3万ドルの教育費を簡単に出すことのできる家庭、そう言う両親は、子供達を名門校に入れ、自分たちよりもさらに裕福な生活をさせようと望む。彼らは 、王者、獲物を食いあさるライオンなのだ。裕福な家庭の息子の中で、真面目で将来を担うに相応しい、有望な子供は、政治の堕落、世界への幻滅から、学校に足を運ばなくなる。それでもそういう人間が、結婚し、子供を持ち、親と同じようなライオンに変身するようになる。世界を変える為には、将来性のある、有能な子供 達が、高い教育費を親が出せる子供達が、真剣に勉強し、民主主義と世界の平和の為に働けるようにならなければならない。

 授業料が払えない貧しい中で、一日も休まず、真剣に勉強し、大学に進学したくても、その授業料がない。政治に無関心、差別を受けたことのない、金持ちの子供達の前で、熱心には研究発表をしていた二人の生徒は、アフガニスタンに志願すると宣言する。無駄死にになるからと引き止める教授に、彼らは、無事に帰れば授業料が免除になる、と希望に燃えて戦場に行く。彼らは、羊達なのだ。帰る事はかなうことなく、アフガニスタンの戦場で、タリバンの餌食になって死んでいく。一尾始終を観ている本部から、危険を犯してまでの助けは来なかった。

 一方で、同時進行時刻、国防長官、時期の台大統領も狙っている、エリートは、ジャーナリストとのインタビューで、新しい軍事作戦があることをほのめかす。マスコミをプロパガンダに使い、国民に説得性を持たせようという狙いだ。マスコミも、企業の手のうちにあり、間違った報道と戦争への荷担をしてしまったという思いにさいなまれているジャーナリストは、その情報を鵜呑みに出来ないと上司に食い下がる。

 「介護の必要な母親がいるだろう。失業すればどうするのか?」彼女もまた、羊なのだ。タクシーの中から、彼女は戦死者達の墓地を眺めて涙を流す。

 二人が戦場で死んでいく、同じ時刻に、金持ちの学生との面談で、必死に彼を説得しようとする教授、彼も無力なのだ。

 この映画は、3つのシチュエーションが、同時に進行している状態で展開される。

 

 この映画の題名を変えてはいけない。「羊達を生け贄にする獅子達」でなければいけない。

 この映画が、若い人達に考える契機にならない、というのも哀しいと思う。つまらない映画、退屈な映画だと、捉えられるとしたら、ロバート、レッド、フオードの映画にかける情熱は? 終わってから、思考が始まる映画でなければ。

 

 ロバート、レッドフォードとメリル、ソトリープと言えば、原名「アウト、オブ、アフリカ」日本名は「愛と哀しみの日々」が見に焼き付いている。この映画の二人は、まだ若く、恋人達を演じていた。

 ロバート、レッドフォードは、「華麗なるギャツビー」以来のフアン、メリル、ストリープは「フランス軍中尉の女」を見て以来、その演技に魅了されている。特に、「ソフィーの選択」でのソフィーは、素晴らしかった。