有馬温泉

  

  

母が叔母を有馬に誘っていたのが、ようやく実現する運びとなって、痛い顎を気にしながら、

マウスピースをはめてやってきた。 何年の前から、母は叔母達と会うたびに、温泉に誘っていたが、

その間に、叔母の一人が亡くなり、もう一人は、大病を患って、なかなか実現出来なかった。

叔母の体調の比較的良い時期を探しても、暖かくなってからとか、夏になれば、もう少し涼しくなってから、とか、

いつまでたっても良い日はなかった。

  海老のしゃぶしゃぶ、ヨモギとクリームのスープに。 

 叔母の誕生日を選んで、タクシーを頼んで、ようやく重い腰が上がった。叔母が頼りにしている従妹が付き添って、

洋室を二部屋頼んだ。妹も娘を連れて参加することになり、3部屋に、予約を入れた。

 雪が降る、寒い日だった。トンネルを抜けると、雪景色が。従妹が「トンネルを抜けると雪景色だった。」

川端康成の小説の初めを口にした。

鰤の照り焼き

 叔母と従妹は杖がなければ、足がおぼつかなくなっている。お風呂に行くにも杖が離せない。

叔母は父の一番下の妹で、上の3人は既に他界している。

従妹は、父の姉の長女で、叔母とは、そう年も離れていない。叔母と従妹は、若い頃は、華やかで幸せな生活を、

母は、大所帯の中で、女中代わりの長男の嫁という立場だった。

朝から晩まで、おさんどんに明け暮れる日々、叔母達が着飾って、遊びに明け暮れていたのが羨ましかったという。 

叔母達が結婚して家を出て行ってから、母は会社を手伝うようになり、我が家と呼べるような生活に変わった。

それまでは、大きな家の中で、たった一部屋に5人が生活していた。間借りのような生活だった。

    若竹

 

よく働いた御陰で、母は、彼女達よりも足腰が丈夫で元気だ。温泉に浸かる時間も長い。

金銭に困るようなこともなく、叔母達から見れば羨ましい存在になっている。

 翌日、朝食に集まると、叔母は、初めて、夜中にトイレに行かずに熟睡出来た、と言う。

頭を洗うと、皮膚がかゆくなるのに、それもならなかった、という。従妹は、いつも痛む膝が痛まないという。

有馬の赤湯の効果は、絶大のようだ。

  カボチャのスープ

 翌日のバレンタインデーは、叔母の誕生日なので、バレンタイン用の特別料理にしてもらった。

初日の懐石料理も、残さずに全て食べてもらった。

食欲がなくて、食べられないという叔母は160センチの身長があるのに、わずか40キロしかない。

従妹のほうは、お相撲さん並の太りようだったが、最近は以前ほどではないが、

それでも随分太っているどちらもストレスから、やせられないし、肥えられない。

  神戸牛のステーキ

 このホテルは会員用のリゾートホテルで、誕生月の会員には、プレゼントがあるらしい。

 「叔母の誕生日なので、バレンタインの特別料理に変えてもらえますか。」と頼んだものだから、

受付に人が計らってくれて、会員のために用意してあるプレゼントを渡してくれた。記念写真も撮ってもらった。

 付き添いで来てくれた従妹が「私までこんなに良い思いをさせてもらって、お盆とお正月が一度に来たみたいで、

あとが怖いです。」と母に言った。華やかな青春時代を過ごした従妹が、結婚してからは、

不幸と苦労が絶え間なく続いた。不幸に耐えながら生きてきた人なので、そういう言葉が出るのだろう。

 

 カニコロッケ 

叔母は、今回の温泉体験で、元気が出たようだ。温泉の効果を頼りに、何度もお風呂に浸かっていた。

食欲も出て、もりもり食べていた。二日目には、杖も持たずに、食堂の中を歩いていた。

外に出るまでの気力と体力に自信がなかった叔母に、これから少しずつ、体力をつけなくちゃ、という言葉が聞けて、

希望がわいてきたことが嬉しい。

従妹は離婚した娘さんとの二人住まいなので、寂しくはないが、それなりに大変なのだと言い、

叔母は、一人で心を残す人もいない、こんな身体で何の楽しみもないから、生きていても仕方がない、

死んだほうがいいとこぼしていた。

  プリンセス有馬のロビー

 元気になれば、意欲も出てくる。元気の源は体力と気力だから、

少しずつ、一歩ずつ自然に良くなって行けば、心が希望を見いだして行くようになる。

その入り口のお手伝いが出来たのなら、母も私も嬉しい。