団十郎と海老蔵に会った

ルクサンブルグ公園行きのつもりが、ベルシー公園に変更。バスが来なかったので、地下鉄に変えたのがその理由。ベルシーに着くと、シネマテック(ここは映画の図書館のような役割を果たしている。映画の歴史、古典になっている映画の上映、今カトリーヌ、ドヌーブが出た全ての映画を特集として上映中、入場料は他の映画館よりも安い。)が、ここに移っているのを思い出した。シネマッテックに行くと、エクスポジションの案内書があり、そこに、今日、歌舞伎の映画と対談が20時30分からあると書いてある。チケット売り場は、19時30分になってから売り出すというので、ベルシー公園を散策して時間を潰すことにした。

ボーボワールの橋が、シネマテックの向かい側のセーヌ川に新しく出来ている。二段構えに上下して作られている橋を超えると、先日ピアフの映画を観た映画館の所に行けることを知った。アパートから歩いて来れる距離に、シネマテックも、ベルシー公園もあるのだ。ボーボワール橋から、セーヌ川の上に作られた水泳場が見える。二つに分かれた図書館も夕日を浴びてそびえたっている。この図書館の形は、本を開いた状態を形成しているそうだが、パリっ子の評判は良くないらしい。

 7時半にチケットが売り出され、早くから待っていた人は、入場出来るまで、戸口で立って待っている。私は脇の椅子に腰をおろしていたので、再び待つこと50分、なんということはなかったけれど。入ると会場はかなり大きかった。私は前列の画面の見安そうな席を選んだ。立って待っていた人達は、最前列から2番目の席にいる。

最前列には、ゲストが入ってきて、その中に、市川団十郎海老蔵の親子がいた。オペラ座の主任ディレクトレスのブリジット、ルフェーブル、フランス語の翻訳を担当した、東京大学教授のフランス人パトリック、ド、ヴォス、通訳などが、最前列に座った。

 映画は、「宿命の親子」と題して、12代市川団十郎と11代海老蔵の二代の襲名披露までのドキュメンタリー

が最初に上映された。二番目は、9代目の団十郎が、紅葉狩りを、当時の上演形態を模索しながら再演したもの。最後に、6代目菊五郎の{鏡獅子」の名舞台を撮ったドキュメンタリー映画(小

津安二郎が監督1936年)だった。

 終わって、感想を聞かれると、海老蔵は、{負けてられねえ、って感じ」と答えた。丁寧に応ずるお父さんに、リラックスした息子。団十郎は{神が降りてくるような演技」が市川家の真髄であると答えた。

対照的な二人。海老蔵は、長いブーツの留めを全て開いた靴を履いている。説明を求められると、早くて、説明が明瞭でないので、翻訳する人はついていけない。

ゆっくりと考えながら,噛んで含んで話す団十郎と、これも正反対。最後に、サインを求められ、一人書いて、すっと出て行った息子としばらくサインに丁寧に応じていた団十郎

 広い会場は一杯の人で、サインをもらおうと、上から降りてきたフランス女性が、会談でつまずいて転倒した。怪我はなかった様子だけど、あわてものの私のように身が凍る思いがした。

 終わったのは10時半を過ぎていた。会場を出ると、団十郎が案内されて車に乗り込む所、前の車には海老蔵が乗っていた。誰かに携帯電話をかけている。待っている彼女がいるのかしら。