パリ市のアトリエ

 

 パリ市のアトリエに入りたいと沢山の人が申しこんでいるが、入れる人は限られている。協力なコネがないと、普通に申し込んでいても入れないそうだ。その上に、収入がいくらあるか、どういう活動をしているか、評価はどうか、などの審査も厳しい。古くから住んでいる人達が多いので、空きが出るのを待っている状態。パリに入れない芸術家達は、郊外にパリ市が作ったアトリエで活動している。ゴッホのお墓のある、オーベルシュ村にも出来ている。

 パリ市のアトリエは、日当たりのいい広いアトリエ付で、リビングと寝室、キッチンがついて、80平米くらいあって、家賃が安いので、恵まれた環境で絵を描くことが出来る。画廊が入って、絵を売っている画家は、他に、自分の家も持っている人が多い。

 ある画家の上に住んでいる88歳になる画家は、ニースに、膨大な土地と美術館のようなアトリエ兼、住宅の館を所有している。敷地内で農業も営んでいるが、労働者がやめてしまって、困っていると嘆いていた。労働者が、今はひっぱりだこで、条件の良い所に流れていく。

 その女性は、ニースの家に行く前に、残りものを、階下の画家の所に持ってくる。いなければ、

廊下の置いて出かける。

 昨夜は、食事が出来たから、来ないかという誘いの電話がかかってきた。画家のアトリエを見せてもらった。綺麗に整頓して、広々している。キッチンも改装して、対面に作りないしてある。

 絵や道具など、置ける場所は全て占めているというお部屋と、同じ作りの同じ広さの部屋だけれど、こうも違うのか、これほど広かったのか、と再認識するような感じがした。アトリエの窓の大きさや、高さも。

 人懐っこくて、可愛い方、初めてなのに、私の両手を取って、嬉しいと体で表現される。

 お料理もお上手で、私が美味しい、美味しいと、食べるので、それが気持ちいい、と喜んでくださった。従妹に「私は何でも美味しと言って食べる、まずいものでも美味しいというんだから、」と言われたことがあったけれど、美味しいのだから自然に出てしまうだけ。まずい時には、言葉が出ない。

 韓国の方だけれど、東京の大学を卒業されて、日本語を流暢に話される。日本語を使う機会は

そうないと思うのに、素晴らしい頭の持ち主などだろう。