エドワード、ホッパー

ニューヨークのマジソン75ストリートにホイットニー美術館があります。ここは、エドワード、ホッパーの美術館として知られています。金曜の6時からは、「払いたいだけ」という寄付金で見ることが出来ます。通常は20ドルするのですが、、、。この美術館は、音声ガイドはフリーで、身分証を預ければ、ただで貸してくれます。私はニューヨークに行くと、必ず、ここに行くのですが、今回は、ホッパーの展示が大々的に変わっていました。そういえば、この前4月に行ったときに、ホッパーの手帳やら、生涯にわたってのホッパーの足取りなどの貴重な資料が、保存されていると言ってたよ。5階の全フロアーを、ホッパーの展示にあてて、彼の、若い頃から、晩年に至るまでの自画像、1918年頃、パリにいた頃の、セーヌ河畔の風景画、パリから帰っての作品、イラストレーターとしての作品の数々、作品作りに費やす、下絵の習作。そして彼のノートには、下絵と、それがいついくらで売買されたかを克明に書きつづっていた。ホッパーフアンなら、たまらない展示だ。私がホッパーを好きになったきっかけは、彼のニューイングランド灯台の絵を見たことから。メイン州灯台の絵を、メイン州ポートランドの小さな美術館で見たのが最初の出会い。それ以来、アメリカの美術館に、少ししかないホッパーの絵を求めて、見に行った。このホイットニーには、彼の絵が沢山あって、彼の軌跡を見ることが出来る。 残念ながら、この美術館は、ノーカメラなので、送付している絵は、ニューヨークメトロポリタン美j術館の作品です。パリに行ったホッパーは、セーヌ河畔の風景ばかり描き、人をかこうとはしなかった。パリ滞在最後の頃には、カフェにいる2人の婦人像の横顔を描いているが、孤独と、寂寥を描こうとしたのだという。ホッパーの作品に描かれる人物間に、コミュニケーションが見られない。それぞれが、別の世界にいるようである。人の個性とか、特徴と言ったもののも 対象にはなっていない。光、夜の、昼の、明け方の、夕暮れの、光、明かりが、彼らを照らし出す。薄暗く、あるいは、さんさんと。人間が存在したという確信のない空間、人間が透明に消えてしまいそうな、孤独な空間を描いている。彼は、光を描こうとしている。光を描くことで、陰を描こうとしてる。レンブラントがそうであったし、フェルメールも。