行きも帰りも、満席。クリスマス休暇からお正月にかけての移動の時期、疲れ切った感じ。
朝起きたら、体の節々が痛くて。
なんとか、無事に帰ってこられたことに感謝。
夜中、ホテルを出る時に、不愉快な思いをして、快適なホテルの印象もだいなし。
タクシーを呼んでもらって、会計を頼むと、もうすんでいるから、と言われた。
レシートを要求すると、ないという。
機嫌の悪い、大柄な黒人女性で、つっけんどんで、叩き付けるような横暴なものの言い方。
タクシーがくるまで、「座っていろ。」とソファーを指さす。
私が気分を壊して、サンキュウをいうことがないのは今までなかった。
彼女は、「タクシーが来た、」というだけで、何も言わない。
私も何も言わずに出て行った。こんなことは初めて。ホテルのサービスに今まで不満を感じた
ことはないけど、今までのスタッフはみな感じが良かったのに、ひどい女性がいるものだ。
お掃除をする人の中にも、いいかげんな人がいた。新しいタオルを置かなかったり、シャンプー類を置いてなかったり。毎朝1ドルの枕チップを置いているが、それだけは取っている。
一度置かないで出たら、その夜は、きちんと置いていた。
全て、満足できるように、との歌い文句で、各階に水のボトルといつでも入れられるお水が置いている。足りないものお補うところもある。
一階には、朝果物と簡単な食べ物、日中はスナック、夜はサルサオリーブなど置いている。
私は、朝遅いので、バナナがあることを知ったのは、最後の日で、帰ると、サルサはあるが、ディップがない。どれもお腹が痛いので、食べられないから、関係なかった。
熱いお湯と、カフェ、レテは、カプチーノを作れるのでそれが有り難かった。
ホテルのイメージをぶち壊すスタッフを雇うと、ホテルには大きなマイナスになる。
従業員の大切さを痛感する。
腹いせに,ルインを下げたつもりだろうが、そういうことを多分、白人にはしない
所が、その人の悲しさでもある。
フィラデルフィアのホテルのそばで、凍てつく寒さのも、雨の中でも、じっと座って物乞いをしている女性がいた。
私はついに、その人にはお金を入れた。いつくかのコインも入っていた。
ゴッド、プレス、ユー、メリー、クリスマス。
その女性は言った。
まだ若い人、随分肥えている人なので、食べていないよいうではないが、同じところに座っていることは大事なことだと思った。
町に沢山の浮浪者が路上で物乞いをしているけれど、一度だけだと、入れる気にならない。
何回も同じ場にいると、気の毒になる。
ステイすることは大事なことだと思う。継続は力なり。続けることは、やがて成果を得るということ。物乞いで、そういうことを学んだ。
私は関学時代、「流れに掉させ」という言葉を聞いて以来、どうしてもその言葉から離れないで生きて来たように思う。
くたびれて、休みたいとき、イージーな道に流されたいとき、あえて、困難な道を行かねばならない、と思ってきた。
老いの流れに、掉さして、今は生きているように思う。
あがくのは、見苦しいと言う人もいる。私はあたふたとあがくほうだ。そういう私だが、
努力はするが、不可抗力なら、仕方ないと思っている。飛行機の中で、ホテルでお腹が痛むとき、急に胸が苦しくなるとき、など、ここで倒れたら、仕方ない、と思っている。
いつかは倒れ、動けなくなる時が来る。その日まで、流れに掉さして、生きていくしか、私に道はない。
今回の飛行も、延べ、18時間以上。隣には、南米の太った女性が、子供連れ。その向こうにいる中国人か韓国人かの団体家族の子供連れ。
娘を遊ばせ、退屈させないように、交流しあっている。
隣の女性は、ものすごいお尻をこちらに向けて振り回しながら、娘の世話。毛布だの、おもちゃだの、首巻だの、沢山持ち込んで、大きなボトルや食べもの。足の下は山のようなものであふれて、私の席まで侵入。
子供連れは大変なパワーと忍耐が要求される。
クリスマスの大移動、ふるさとに帰りたい人々、休暇を楽しもうという人々。
流れに掉さして生きている人々。