9.11

ニューアークからの飛行機の中で、隣の席にいた日本女性と話しをした。

9.11で、息子さんを亡くされた方で、毎年、セレモニーに日本の代表として

参加されている。

ユーナイテド航空での事故だった。依頼、様々なUA関係者と親しくされて、毎回、

ニュージャージーの、事故で亡くなったパイロットと親しかった方のお宅に招待され

毎年、各地を案内もされているとか。

早14年目になる。

飛行機の中で、話をしているうちに、今回は時間が気にならないままに、成田に着いた。

悲しみは到底薄まることはないけれど、息子さんが、新しい出会いと親しい人達を導いて

くれている。

アメリカが好きで、大学もアメリカに行きたいと言っていたのに、北野高校にせっかく入れたのだから、日本の大学を、お母さんが引き留めたのがいけなかったと後悔しているそうだ。

 この夏、御巣鷹山に毎年、登っていた方が、足腰が悪くて、ついに断念された、というニュースをテレビで見ていた。

 ピッツバーグの事故の場所に毎年行かれてから、ニューヨークに入られるそう。

 長男が一緒に住んでおられる。お母さんのことを気遣って、優しい息子さんだとか。

家族を亡くされた方々の悲しみや不幸は、推し量ることのできない深いものだろうが、

その傷の深い出来事が、ある幸せにつながるきっかけにもなっている。

 9.11の時に、私はテレビに映る信じられない光景を、映画のように見ていた。

ワールドセンターが、ゼロになり、ニューヨークに行くたびに、少しづつ新しい希望を作り上げていく様子を見ていた。

今回は、夜中に、ワールドセンターで降りて、美しい羽根のような建物が目に入った。

 ホテルはキャンセルされていて、泊まれなかったので、すぐに飛行場に引き返した。

11日に日本を出る予定だったけど、一日づれで、12日になったので、セレンモニーの翌日の夜にいたことになる。

 こちらからは、言葉も出ない、あまりにもひどい体験をされた方が飛行機の中で隣に。

機内のUAの方々ともお友達になっておられて、挨拶に席に来られていた。成田につくと、

プラカードを持って、UAの女性が迎えに立っていた。

UAからの遺族への補償は、息子さんが、残された遺産のようなもので、それが家族の生活を支えているというケースもあれば、それが家族の崩壊を促すこともあるのだということもある。

大阪人の、「どんとかまえて、めげない明るさ」を持った女性。

お友達も沢山いらっしゃる。人は人に支えられて生きている。どんな時にも。