ワールドセンター、時間と共に変わっていく。
午前中にぐっすり3時間寝たので、時差ぼけで寝られない。
横になて目を閉じているだけで良いとはわかっているけれど、2時間もそうしていると、勿体無いので、書くことに。
友人のブログを見たり、株の値段を見たり。ネットが出来る環境で、しないといけないことチェックしておいたほうが。
サンディエゴは、雨らしい。
ホテルのあるダウンタウンまでの行き方を見ておく。
空港バスの送迎があるが、あてにならない。
飛行機の中で、プルーストの研究をしている人が、絶望して自殺未遂、姉の家で暮らすようになる。彼が、姉の息子に、プルーストを引き合いに出して、不幸でなければ、幸せは感じられない、と言う。
プルーストは、ひどい状態の中で、7年間もの間、病魔と闘いながら、書き続けた作家。
苦しい闘病生活を余儀なくされた人は、元気で、楽しめる時間の幸せを噛みしめることができるだろう。
お金が無くて、飢えている人は、何でも食べられるものが、最高の味わいにできるだろう。
私の旅も、いつも脱線したり、乗り遅れたり、ホテルに四苦八苦したりの、波乱万丈だった。
その体験を思い起こせば、そういう瞬間が、最も充実していたのだと思う。
若かった時は、神田川じゃないけど、お金は無くても、何もこわくなかった。ユースホステルが常連で、ホテルにたどり着くまで、どれだけ歩いたことか。
そういう旅は、もう出来ない。咳が出るので、迷惑かけてはいけない。坂道を引っ張って、50分も登れない。
あの頃は楽しかった、と今では思う。
本屋も大変だった。死んでも仕方ないくらいに思っていたけれど、その頃は、死は遠くにあった。
お金が必要だった。遅くまで店を開けて、一冊でも売りたかった。休みなしで、働いていたあの頃、苦しさと喜びが交錯していたあの頃。
どの道も、歩いてきた道は、平坦なものではなかったと、今思う。
何も無く、平穏無事に暮らしている人は、抜け出す勇気がわかない。だからといいて幸せを実感することは少ないのではないだろうか。
当たり前に幸せな日々を送っている人達は、その幸せに触れることが出来ないのではないだろうか。
美味しいものに、慣れると、美味しかったものが、美味しいと思えなくなる不幸。
身体が悪くて、食べられなくなると、美味しかった味が、より新鮮なものに感じられる幸せ。孤独の中にいて、愛された頃を思うと、胸が締め付けられるような、幸福な瞬間が襲う。
自分を閉じ込めて、その記憶の瞬間を、非連続に、記憶の時間の流れに沿って、丁寧に、辛抱強く、描き続けたプルースト。誰にも出来ない新しい小説の形を作った作家。彼の愛は、公にするには、時代が早く愛する人に愛されない、不幸が、想像という無限の幸せを与えた。誰にも犯されない自分だけの世界。愛されることを想像出来る世界。
旅とは関係ないことを書いてしまった。