ドリップコーヒーにお湯を注いでいたら、母が、私達に入れた後に、二番出しのコーヒーを飲んでいたことを思い出した。
母は、濃いすぎるから、これで良いの、と言っていたけれど、本当はそうではない。
二番出しのコーヒーは、美味しくない。
母とは、いつもそうだった。人には、良いものを与えて、自分は残り物に徹していた。
母は、人を喜ばせるために生きて来た。
誰からも愛され、慕われた母が、どうして認知症になってしまったのかと、思って、悲しい。
我慢するのがいけないてはないかもしれない。
母は、コーヒーが好きだった。美味しいコーヒーが、好きだった。
トリッブ式のコーヒーを飲むたびに、母が、私達に作った後の、出がらしのコーヒーを飲んでいた姿が、眼に浮かぶ。