初めての内視鏡検査で

       

 初めて胃の内視鏡検査をした。

朝早くから、多くの人が検査にやってきた。

診察台に横向きに寝させ、血液検査をしますと、言って、看護婦が後ろ手に、注射針を刺し、血液を採ってそのまま、麻酔が注入されたのだろう。

何人かの看護婦がチームになって、手早くことが運ばれていく。

丸いわっかのようなものを口にくわえて、と言われて、其のまま、記憶がない。

気がつくと、深いソファーに座っていた。

その間の記憶が全くないので、これから検査を待っているのかと、夢うつつの中で思っていた。

名を呼ばれて、立ちあがるとふらつく。

医者の検査後の説明のために呼ばれたことがわかった。

 慢性胃炎、ピロリ菌、小さなポリープが見つかった。萎縮はかなり進んでいる。

妹の主人が、長い間、十二指腸潰瘍だとばかり思っていて、実はピロリ菌だった。

自分に、それが当てはまるとは思っても見なかった。

勧められて、いやいやの、内視鏡検査だけど、見つかると、見てもらって良かったと思う。

こんなに楽な検査だったら、毎年しても苦にならないなあ、と思うけれど、やはり嫌なもの。

胃がんの原因で多くはピロリ菌だそう。

 

医者は、この前と違って、親切で感じの良い人になっていた。

 11時に、叔母の手術の相談で従妹の家に集まることになっていた。

カフェで、パンとカフェオレを軽く食べてから、電車に乗った。

 叔母は、点滴の針を差し込む場所がなくなって、最期の手段として、胸に穴を開けて、静脈に、栄養を入れる手術をする。

病院は、命を守るための措置をする。それを拒否すれば、病院から出なければならないだろう。

病院としては、治療をしないのなら置く意味がないから。

 

 自分で食べられなくなったら、動物のように、自然に死を迎えるのが良い、と健康な人は考えているけれど、イザ、その時になれば、すがれるものは、藁でも掴むのが人間の悲しい性というもの。

 病院に行くと、叔母は、すんなりと、説明を受け入れて、胸に穴を欠るようが良いと言う。

30分ほどで終わる簡単な手術だとのこと。その穴は、最低3か月は持つけれど、何年もということはないと看護婦長から。

身体に4か所、静脈に直接、栄養を流せる場所があるが、実際には、胸の二か所だけで、足の付け根は、ばい菌がはびこっている場所なので使えない。

 入院患者の3割が、その方法を使っているとの説明が、看護婦部長からされた。

 看護婦部長のいう、「最後の手段」がやってきたことが、現実のものとして見えて来た。

科学の進歩は、死を遅らせるだけで、死に勝利することはないけれど、時間を与えられるようになったということでは、人間の命に随分な貢献をしている。

 生きていればこそ、叔母の好きな野球を見る楽しみもある。

 訪れる人や、世話する人達との他愛無い会話に笑うことだって出来る。

 生きて居さえすれば、きっとなにか良い事があるに違いない。