母の誕生会

        

 

 忙しい日が続いて、相変わらず、掃除をする時間がない。

 母の誕生日と母の日をかねて、久しぶりに母を囲んで家族が

集まりました。

 母の施設から近い、中華料理の「愛蓮」で15人用の丸テーブルの広い個室

なので、賑やかでも気兼ねがないので、そこをよく使っています。

 2時間という予定だったのですが、次の予約がないので、ゆっくりと使わせて

いただけました。

 最初のうちは、場所に不安を感じていた母は、帰りたがっていましたが、そのうちに

慣れて、良く食べ、楽しく過ごすことが出来たようです。

 最初は、もうだめかな、と思っていたのですが、終わりよければ、全て良し、という達成感で、また集まって母を囲んで、という希望に変わります。

 今年も元気な母に感謝したい。

母がいるからこそ、こうして皆が顔を揃えて集まる機会があるのです。

 子供達が学校に行くようになると、こうもいかなくなってきます。

 施設でも、母について「家族で集まるのが母に取って一番嬉しいようですから。」

と去年の誕生日には、家族と過ごす誕生会を計画していただきました。

 応接室を飾って、若いスタッフが、手品を披露してくださって、賑やかな誕生会。

「愛蓮」での会食の後に、施設に戻って来て、ケーキと紅茶で、二度祝いをしたのですが、今年はそういう企画がなく、会食だけで、お開きになりました。

母の部屋は、花が増えて、置く所もないほどになっています。

 母は幸せな方だと思います。子供達や孫たちから愛され、慕われて、よく訪ねてきます

ので、施設の他の入居者の皆さんには申し訳ない気持ちもするくらいです。

  訪れる人もなく、寂しい人も多いのです。

 独身の方や、連れ合いを亡くした人がほとんど。子供のいる人でも、東京にいたり、遠くにいる人もいます。

近くに家族がいる人が多いようですが、週に一度、訪ねてくれば良い方でしょう。

 認知症もそう悪くないのです。忘れることは、幸せでもある場合が結構あるものです。

 母は私が行かなくても、幸せな笑顔を絶やさずに、スタッフの若い人達に親切にしてもらって、寂しい思いをしないで、楽しく暮らしています。

行けば、喜んで迎えてくれますし、私のことを心配してくれるくらいで、どちらが世話になっているのかわからない。

母の言動に、私が笑わせてもらって、おかしくてたまらない時がよくあるのです。

 そういう話を友人にすると、彼女も、お腹をかかえて笑うのですから、友人も喜ばせているのです。

 吉本のお笑いのネタになるような会話のやりとり。例えば

「怖いわあ。怖いわあ。」母は心配そうな顔をして。

「何が怖いの?お母さん。」と私が聞くと、母は驚いたような表情をして、

「あ、そう、へー。そうなの」という返事。

ちょっと間を置いてまた

「怖いわね。怖いよ。」とこんな調子。

笑わせてもらってばかりいるのです。

認知症の初期には、やたらに腹が立って怒るようになる、と聞いたのですが、

母は、笑いの提供者なので、他の人達の認知症予防にも一役買っているのです。

どこまで、人の心配ばかりしている母なのでしょうか。