靴の話

    

靴では苦労する。

100足買ってあうのは、せいぜい一足くらいと、どこかのエッセーで五木寛之が書いていたのを読んでからは、そんなものなのだ、と靴を買うのが気楽になった。

 買っては、失敗ばかりしている。

履きやすそうな靴だと、一足では心もとなくて、二足買いたくなる。

 店では、足入れが良くて、しばらく歩いて試してから、大丈夫だと思って買ってくるのに、いざ、外に履いて歩くと、15分もすれば、痛くなって履くのがつらくなる。もう外に履く気がしない。

 二足も買ってしまってと後悔する。

 今、図書館で借りてる本「下山の思想」の中で、靴に関するエッセイがある。

五木のワードローブの中に、相当量の靴がある。部屋の装飾になっているもの、其のあたりに転がっている靴は、老舗の靴屋や、海外で買った著名な靴ばかり。

 何十年も前に買ったもので、履けなかった靴だったが、履いてみると、足にぴったりあうようになっている。足が痩せて形が細くなったからだそうだ。

 靴を磨きだすと、何時間も磨いている。さわやかで気分が良くなるそう。

 パリで、ロンドンで買った上質の革靴で、それらの靴は、足に馴染むようになるまでに一年かかる。そういう靴を西洋の人は我慢しながら自分の靴にしていくという。

 そういわれると、思い当たる。

パリのアレージア通りにある靴屋を覗いていたら、売り子の女性が合う靴を探してあげますと言って私を店に誘った。その界隈は、ブランドのアウトレットがあるので、その店も他よりも安いのではと思ってつられて入った。あとでわかったのだけど、定価通りで、タックスの免税をしてもらったけれど、税金は振り込まれず。

 彼女は、私が履いている4Eの幅広の靴を見て「もっと小さく見える靴でないと」と細みのスマートな靴を出してきて、「これがあなたにぴったりだ。」という。

 靴ひもがゴムになっているので、幅の広さは調節がきいて、窮屈だけど履く事は出来る。

 、「これくらいでないとだめ。皮がのびるから、大丈夫。私は靴の専門家だから。初めから合う靴を履くと、大きくなってだめです。」と勧められて買った靴は、しばらく歩くと痛くて、纏足のようによちよちとなり、履きこなせていない。おそらくこの先も無理。カンペールというブランドの靴

   友人も神戸のデパートで、同じメーカーのものを買って、履けないとぼやいていた。その店でもう一足、欲張ってサンダルを買った。

 ジオックスというイタリア製のもの。サンダルなので、足幅は問題なく、履けるには履けるのだけど、底が薄くて、膝に響く。

  もう一足、パリのパレロワイアルにある、メフィストという店で買った靴。

 店で、しばらく歩いて、これならいけると思い、そのまま履いてルーブル美術館のあたりまで来ると痛みだした。随分我慢しながら、サンミッシェルのあたりまで歩いて、ついにバスに乗った。

 日本に帰ってから、ネットで靴の幅を広げる木型を買って広げてみたのだけれど、皮が緩まないようにしっかりした造り。高級靴なので、形が崩れないようにできている。

関学の美学教授だった方が、「銀河を辿る」という、サンチャゴへの巡礼体験を書かれた。その中に、メフィストの靴が出ている。長時間の歩きに耐える靴として。それで欲しくなった。メフィストは、フランス製の靴。

この靴は、足の痛みを我慢しながら、時々履いている。あまり歩かない時に履いている。

年を取って、痩せれば、足にあうようになるかもしれない。

それとも、我慢して履いていれば、馴染んで来るのかもしれない。

すぐに履ける靴は、ぶかぶかに大きくなって、足が泳ぐようになる。

足にぴったりと吸いつくような靴に巡りあうことなんて、万に一つ

なのかも。

100足買って一足当たれば、上出来。