「いつ死んでもおかしくないのです。いつまでも生きていると迷惑ですから。」
その人は笑いながら言われた。
母と同じ年だと聞いて驚きを隠せない。
とても92歳には見えない。
若々しく、聡明で、しっかりした話し方。
一人暮らしをしてこられて、最近グランダに入居された。
3月の報告会で、隣にいた男の人が、ボランティアで彼女の
お世話をしていると聞いていたが、その男性は85歳だと聞いて
それも驚いた。
その女性は、東京の人だとすぐわかる、早口の標準語で話される。
「85歳までお料理を教えていました。」
食育の見本のような人だな、と思う。
「息子が62歳で亡くなりまして、ずっと一人暮らしでしたから、
もうそろそろお迎えが来ても良いのです。
いつまでも生きていお恥ずかしい次第です。」と終始控えめな笑顔でおっしゃる。
NKHの朝ドラの主人公、村岡花子は、彼女の女学校の先輩にあたる。
良く学校に来られたのだとか。その娘さんを彼女は良く知っている。
「ドラマですから、フィクションですから。」とおっしゃる。
「息子さんを亡くされるのは、お辛いですね。」というと
「誰でも死ぬんです。まぬがれる人はいませんから。それが自然なことですから。」
クリスチャンは、神に召される、という考えが備わっている。
「最初の主人は、戦争で亡くなりましたし、死ぬのは、いつか必ず来ますから。」
たんたんと語られる。気丈な方だ。
クリスチャンであることで、「救われる」のだ。
この世の中で、最大の不幸は、子供に先立たれることだ、と言われる。
その悲しみは癒えることはない、と。
友人も、最愛の息子を若くして亡くしている。普通に笑って、生活できるようには
なってるけれど、忘れることは出来ないし、心から楽しむことも出来ないのではないかと思う。
信仰を持つことの強さを、この女性に見たように思うが、悠久の時を流れる大河に
辿りつこうとしている今だから、おおらかな言葉が出てくるのかもしれない。
確かに、人間は生きていることのほうが不確実で、死は確約されている。
けれど、私は、彼女のように、信仰を持たないので、母には永遠に生きていて
欲しい。死は、私の外にあって、想像することすらできない。
その人にも、ずっとずっと元気で生きていて欲しい。
「いいえ、いつまでもお元気ですよ。長生きされますよ。」
私は、祈りをこめて言う以外の言葉をしらない。